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WHITE SNOW LOVE−6

 幸せ一色ではない、市丸のブルーな日々が始まった。
 今まで通りやるべきことはやり、日番谷には笑顔を見せていたが、ぼんやり考え込むことが増えた。
 撮った写真が現像されて返ってくると、その出来にはそれなりに満足したし、日番谷も感心していたが、大好きだった写真でさえ、市丸の炎の向きを逸らすことができたのは、ほんの短い時間だけだった。
 トイレや風呂や自室でこっそり抜いても抜いても、初めて会った時に見た白い肌や、ポン太の家で抱き寄せた時の細い肩の感触を思い出してはまた身体が熱くなり、そんな行為では満たされないと思い知る。
 こんな時ここが市丸が元いた『下界』であったなら、いくらでも金で、または笑顔や口先の甘い言葉だけで、身体の火を収めてくれる相手もみつけられただろうが、ここではそういったものは、何も望めない。
 すぐ帰るから、ちょっと下界に、と言っても、日番谷は市丸がここでの生活に飽いてしまったと思うだろう。
(いや、あかん。悪い方にばっかり考えてもあかんて。案外聞いてみたら、冬獅郎クンもオッケーかもしれへんよ!なんとかこう、気まずくならへん方法で、冬獅郎クンの気持ちを聞く方法…)
 そこで初めて市丸は、日番谷の身体は大人の一歩を踏み出しているのだろうかという疑問をもった。
 最初から大人扱いはしていたが、身体は子供だと無意識のうちに判断していたから、こういうことも言い出せないでいたのだ。
(ヨシ、決めたで!冬獅郎クンがもう大人の身体やったら…あそこに毛が生えてたら、告白する!生えてへんやったら、………どないしよう)
 生えていなかったら小児性愛者みたいで自分が怖すぎたから深く考えるのはやめにして、とりあえず確認するという目的ができると、俄然元気が出てきた。
 とてもくだらない目的だったが、今の市丸には自分を奮い立たせるとても大切なことだった
 だが、その確認方法は、これが案外難しそうに思えた。
 本人に直接聞いても正しい答えが返ってくるか怪しいし、第一変態みたいだ。
 それにこんな家庭の風呂で一緒に入ろうとか背中を流そうというのも、いくら男同士でも少々無理だし、断られるのは明らかだ。
 風呂場から出てくる瞬間を見計らってドアを開けてみることも考えたが、必ずそこが見えるとは限らない。
(これは…、お風呂を、覗くしか!)
 とうとう市丸は鼻息も荒く、決意した。
 というか、他の案を却下したのも全て、これをする口実を自分に作るためだったと言ってもいい。
 市丸の話術ならさりげなく聞き出すことも無理ではないだろうし、一瞬見るだけだったら、緊急の用事でもでっちあげて風呂場のドアを開けたって、一回だったら許されるに違いない。
 だが、お風呂を覗きたいという欲望は、男のロマンのひとつだった。
 なにしろ雪山の家だから、着ている服もいつも露出度は低く、日常生活にサービスショットはほぼ望めない。
 その中にして風呂というのは、無防備この上ない真っ裸。どこから洗うのかも気になるところだし、見られていると意識していない姿を見るのも興奮ポイントだった。
 普段は決して思い付かないこんな変態的なことを本気で決意してしまうのも、たまりにたまった恋心(欲求不満ともいう)のせいだったかもしれない。
 こういうエロスのスイッチは、一度入ると何かしらの形で満たされない限り、冷静な判断力を失ったまま、どこまでも暴走してしまうものなのだ。
 一度決意すると、市丸の実行力は素晴しかった。
 もうその晩には覗く気満々で、日番谷が風呂の戸を閉めるや否や、雪の舞う屋外でそれなりの時間を過ごしても大丈夫なように、最初に着てきた登山着一式をきっちり着込み、グローブを装着し、銀色の髪が闇に浮かび上がらないように、黒のニット帽をかぶった。
 万一みつかった時の言い訳も考えた。
 ポン太の家の方で怪しい音が聞こえたから、様子を見に行こうと思った、と言うのだ。
 その割には松明も銃も持たず、服装も怪しかったが、散歩をしに、とか言うよりはよほどいいし、家のそばにいても無理がないと、市丸は思った。
 欲望に曇りまくった、聡明とは言い難い頭で思った。
 準備ができるとすぐに外へ出て、風呂場の窓を目指した。
(と…冬獅郎クンの、裸…!)
 日番谷が自分の身体を洗っている姿など見れたりしたら、当分はそれだけで生きていけるような気がする。
 いつの間にか本来の目的も忘れて、欲望だけで動いていたかもしれない。
 いや、本来の目的も目的なのだが、とにかくよくないことは、そういう時に起きるものなのだ。
 あと少しで風呂の窓の下というところまで来たところで、突然後ろから、
「市丸っ!お前そこで、何してるっ!」
「え、ええっ?!」
 風呂の中にいるはずの本人が、今まさにその可愛らしい身体を洗っているはずの日番谷が、何故か後ろから鋭い声をかけてきた。
 飛び上がるほど驚いて、慌てて振り向くと、日番谷は厚い上着を着て、厳しい表情で市丸を睨み付けていた。
「冬獅郎クン、キミ、お風呂に入ったんじゃ…」
「俺が風呂に入っている間に、何しようとしてんだ、お前!」
 まさかバレていたとは思わずに、市丸は焦って、用意していた言い訳を口にした。
「いや、ポン太の家の方でな、何か音がしたようやから、様子見に…」
「わざわざその格好に着替えてか!」
「うんまあ、これが一番風通さへんしなぁ」
「俺が風呂に入ったところを見計らってか!」
「や、そういうわけやないんよ…」
「丁度いいよな、すぐに出てこれねえもんな、風呂入ってたら!物音も、聞こえにくいしな!」
「…何言うてはるの?」
 どうも日番谷の言っていることはおかしいと気付き、しどろもどろだった市丸が、そこで一度息をつくと、
「お前…ポン太に乗って、こっそり帰るつもりだったんだろう!」
「え…」
「わかってたんだ。お前、下界から荷物が色々届いた日から、何か変わった。しょっちゅうぼんやりしてるし、遠くを見てるし、俺の顔あんままともに見ねえし。元の世界が、恋しくなったんだろう。勢いで俺に一生ここにいるとか言っちまって、後悔してるんだろう。でも、だったら、そう言えばいいんだ。俺にハッキリ、そう言えばいいんだ。俺だって、お前なんか、お前なんか、最初から、とっとと帰ればいいって、お前の言葉なんか信用してねえって、言ってるんだから!」
「違う!キミを置いてひとりで帰るつもりなん、ないよ!」
 日番谷の言葉にびっくりして、市丸は慌てて言ったが、
「嘘つけ!こんな生活、お前みたいな、下界の都会から来た、若くて何でもできて女にもモテる、頭もいい奴が満足するわけないんだ。写真が好きなら、色んな景色を撮りたいだろうしな。写真家になる夢もあるんだしな。俺が子供なのにひとりだって聞いて、同情したんだろう。ポン太が怪我した夜に、うっかりお前に甘えちまったから、帰るって言い出せなくなったんだろう!そんなの、クソくらえだ、バカにすんな!俺はひとりで生きていけるんだ、今までも、これからもだ!こんな、こっそり逃げるような真似、するな!」
 怒りに震える日番谷の言葉に、市丸の頭は真っ白になった。
 まさか、日番谷にそんなふうに思われるなんて。
 そんな誤解で、こんなに傷付けてしまうなんて。
「ボクは逃げようとしたわけやないけども、ボクがこのままここにおったら、逃げたくなるのは、ボクよりキミの方や!」
「それが言い訳か!」
 日番谷の言っていることは完全に誤解だが、それを解くためには、全てを明かすしか方法がない。
 嘘を塗り重ねても、日番谷は見抜くだろうし、もっと傷付けて、修復不可能な関係になってしまうだけだ。
 日番谷を傷つけないために我慢していたはずなのに、その本人にこんな誤解を受けて、そのことで傷付けてしまったら、何のための我慢かわからない。
 なんとかわかって欲しいという気持ちと、抑えに抑えていた気持ちが、衝突して、ついに市丸の中で爆発した。
「せやったら言うよ。ボクは元いた世界での生活なんかより、キミが欲しい。キミが男の子で、まだ子供やわかってても、ボクのものにしたい。キミが好きなんや!」
「なんだそれ!そう言ったら、俺がビビッて引くと思ってんのか!それが大人の逃げ方か!傷付けないように嘘つこうってんなら、もっとマシな嘘考えろ!」
 これだけ直球で言っているのに、全く通じていないことに、市丸は驚いた。
 だがそれはそれだけ日番谷が、市丸が帰ってしまうことを、恐れているという証拠でもある。
 それを市丸に言われたらとてもショックだから、言われる前に、自分で言っているのだ。
「嘘で言うかい、こないなこと!キミは大人の男の生理を知らへんねや!好きな子のそばにいて何もできへんのが、どれほど辛いかわからんねやろ!キミのことどれほど好きで大事やったらこれだけ我慢するんかも、わからんねやろ!」
「それが今、来た時の服に着替えてポン太のとこに向かおうとしてることの、説明になるのか!わざわざ俺が風呂入った時を見計らって出てきたくせに!」
「その通りや、見計らったよ、キミのお風呂覗こうとしたんやから、見計らったに決まっとるやろ!」
 言ってしまった…!
 痴漢行為を堂々と偉そうに自白してしまった…!
 言いながらしまったと思ったし、日番谷がびっくりして言葉も出ないほど呆れた顔になったのも途中で気が付いたが、言ってしまったものはもうどうにもならなかった。
 逃げようとした男と、覗きをしようとした男と、一体どっちがマシだったんだろう…なんて後から思っても、もちろん言い直しができるはずもなかった。
「バ…カか、そんな嘘信じるとでも思ってんのかーッ!同じ男の、子供の裸見て、何が楽しいんだーっ!」
 だが、幸か不幸か、日番谷には理解できなさすぎたらしく、信用してももらえなかった。
「キミの裸やから見たいに決まっとるやろう!キミの最初のあの日のチラリでボクが何回抜いたか知らへんくせに!!!」
「チラリて何だ!何を抜いたんだ!」
「え…そこまでピュアなん?」
 ある意味それはショッキングすぎて、市丸は愕然として、思わずその場に膝を付いた。
「ま…さか、やっぱりまだ生えてへんの?」
「何が?」
「あっこの毛」
「!!!!!」
「生えてへんねや!そないな子のことこない好きになってもうて、ボクほんまの変態や!好きな子とエッチするだけで、犯罪や!こない好きなんに、我慢するしかないんや!キミが大人になる前に、ボク気ィ狂って死んでまう〜!」
 ショックのあまり、積もった雪をざくざく叩いて絶叫すると、日番谷はいつも以上に眉を寄せて難しい顔をしていたが、
「…だからここから逃げようってか…」
「せやから、逃げようとなん、してへんて!第一、ポン太クンまだ乗りこなせてへんし!」
「…ま、とにかく、お前の言い分は聞いた。とりあえず、寒いし、中に入ろう。出てくにしても、明日でいいだろ」
「出ていかへんて!イヤ〜!追い出さないで〜!」
 ふうとタメ息をついて家に戻る日番谷を追って、市丸も慌ててログハウスに戻った。
 最悪だ。
 最悪の告白だ。
 ロマンもへったくれもない上、痴漢で変態だ。
「う〜、寒い」
 部屋に戻ると、日番谷はタオルを取って市丸に放り、自分も濡れた髪を拭きながらまっすぐ暖炉の前に行き、火に手をかざした。
「お前も冷えただろ。あったまれよ」
「…キミいつの間に、お風呂出たん?」
「入ってねえよ。お前挙動不審だったから、逃げようとしてるんだなって、最初から気が付いてたんだ。入るフリしただけ」
「…逃げようとなん、してへんのに」
 隣に立ってグローブを取り、同じように暖炉に手をかざしながら、市丸は唇を突き出した。
 自慢じゃないが、人を騙すことには自信があるのに、そこまでバレていたなんて。スケベ心が人をダメにする力がそんなにすごいというのも、ある意味びっくりである。それとも日番谷がすごいのか。
「逃げようとしてねえんだったら、どうしてその服に着替えた?」
「最新の防寒着やもん。雪の中長時間いても染みてきたりせんし、風も通さへんし、あったかいし。逃げる為に着替えるくらいやったら、最初の荷物も持ってくやろうし、カメラを置いてくわけがないやろ?逃げるにしては、おかしいやろ?それにキミがお風呂入っている時より、夜中に寝静まってからの方が、ベストなんちゃう?」
「ああ、そうか。そうだな。あくまでも風呂を覗こうとしたことにしてえんだな?」
「キミこそ、あくまで逃げようとしたことにしたいんやん。追い出したがっとるんは、キミの方やのに」
 文句を言いながら、市丸は上着を脱いで、壁に掛けた。
 帽子もとると、日番谷はふっと笑って、
「お前、帽子とって髪ぺたんこでも、あんま変わらねえな。羨ましいぜ」
「ふわふわしたキミの髪が濡れてぺたんてなってるの、めちゃセクシーやで?」
「そんな単語恥ずかしげもなく普通に使う奴に、俺は生まれて初めて会った」
 ムードもへったくれもなかったとはいえ、一世一代の大告白をした後にしては、残念なほどいつもと同じノリだ。
 まるで何もなかったかのような日番谷の態度にがっかりして、市丸は後日改めての仕切り直しを決意すると、タメ息をついて、こちらも極力普通の態度で、
「もう覗いたりせえへんよって、安心して、お風呂入り直しや?濡れてもうたままやったら、風邪ひいてまうよ?もちろん逃げたりもせえへんし」
「…ああ」
 暖炉の火をじっと見たまま、日番谷は虚ろに答えてから、
「お前、先に入れよ。お前の方が、ちょっと長く外にいた」
「ちょっとやん」
 それに、市丸の装備の方が、絶対防寒的に上だ。
 だが、もしかしたら日番谷は、まだ市丸が逃げてしまうと心配していて、先に入らせたいのかもしれないとも思った。
 それなら安心させるために、先に入った方がいいのかもしれない。
「…せやけどまあ、キミがそう言うなら、先に入らせてもらおうかな?」
「ああ」
 市丸が答えて着替えを取りに行こうとすると、
「…俺も、すぐ後から入る…から」
 消え入りそうな声がそう言ったような気がして、市丸はピタリと足を止めて、振り向いた。
「…今、なんて?」