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博士とロボット−1

 轟く程の咆哮とともに次々と現れた虚の大群に、隊士達の間に、一斉に緊張感が走った。
 死神の数に対し、虚の数が、多すぎる。しかも、どの個体もかなり強くて大きい。
 死神達を囲むとすぐにエネルギーを集め始めた虚に、隊士達の先頭に、揺るぎもせず立っていた少年が刀を抜いて、
「おまえら、下がってろ!」
 少年の一声で、一人の男を残した全員が、波のように下がってゆく。
 たったひとり少年の後ろに残った長身の男はひとりだけ真っ白な衣装を身にまとい、少年と同じように、揺るぎもせずに立っていた。
 じきに虚達の口から次々と、目も眩むほどの光がカッと放たれ始めた。
「きた…ッ!」
 その光は真っ直ぐ少年に向けて、巨大な矢のように闇を引き裂いて走ってくる。
 見たこともないほど恐ろしいエネルギーに満ちたそれに、隊士達が恐怖の悲鳴を上げたその時、
「ギン!やれ!」
 少年の命令と同時に、白い服の男がふっとわずかに身をかがめ、薄く鋭い白い光が小さくさっと走った。
 次の瞬間には、目を刺すほどの光の中、男が少年を守るように、細い一本の刀で怒涛のような虚の虚閃を次々と全て受け止め、撥ね返していた。



 
     *   *   *

 


 ところは尸魂界。
 戦闘部隊である護廷十三隊とは別に、必ずしも死神の能力を持っていなくても入ることのできる、技術開発局が別組織として存在していた。
 純和風の建物が立ち並ぶ瀞霊廷の一角に、ドカンと建った味も素っけもないコンクリートの建物がそれだ。
 十二番隊の隊長も兼任する技術開発局長の下に、大きな部署がいくつかあるが、開発部門はかなり細かく分かれていて、博士号を持つ博士とその助手だけで一セクションというところも少なくなかった。
 完全実力主義のこの世界で、日番谷はまだ少年であるにも関わらず、助手を持ってワンセクションを取り仕切る、そんな博士のひとりだった。
「…なんや遅いなあ、日番谷博士。報告書提出するんに、どれだけかかっとんねん」
「提出するだけじゃないよ。説明したり、質問されたりしてるんだから、しょうがないよ」
 技術開発局長のところへ先の戦闘の報告書を提出に行った日番谷を廊下で待ちながら、市丸ギンがつまらなさそうに言うと、日番谷の助手の壷府リンはため息をついて、
「それにだいたい、お前の報告してるんじゃないか。初出動だったわけだし、ちょっとは緊張とか、しないの?」
「緊張言われてもな。ボクがしてもしゃあないんとちゃう?」
「お前、一緒に報告に行くようにって言われてたくせに、ちゃっかり逃げたんじゃないか。今頃出てきて、偉そうに言うなよ。まあ…確かに内容的には、昨日の任務は、大活躍だったみたいだけど。ああ、お前の晴れ舞台、俺も一緒に行きたかったな〜」
「キミ来ても足手まといちゃう?ロクな戦闘能力もないやん、キミ」
「なにをー!それを守るのがお前の仕事だろう!」
「博士以外の奴守る気ないよボク。めんどいし」
「めんどいだとーーー!!!」
「おい、何してる。廊下であまり騒ぐなよ、お前ら」
「日番谷博士!」
 死覇装の上に長い白衣を着た小さな少年が出てくると、二人の目が一斉に輝いた。
「日番谷博士、どうでした?」
「もう〜、遅いやん、待ちくたびれたで〜」
 抱きついてくるギンをバインダーでバンと叩きながら、日番谷はリンの方へ、
「まあまあだな。今のところ戦闘能力に関しては、ギンは完璧だ。それに色々と、役に立つ」
「ほんま〜?おおきに。博士のためなら、ボク何だってするでvv」
「お前、馴れ馴れしいんだよ!博士に気安く抱きつくな!」
「キミに指図なんされたない」
「抱きつくな」
「え〜〜〜」
 日番谷に言われると、ギンは唇を尖らせて、拗ねたような顔をした。
 日番谷の所属する科は、主にメカ系を専門に開発する部門だった。
 日番谷はそれに誇りを持っているけれど、尸魂界の今の流行りがバイオで、生物化学部門の勢いに押されて年々予算を奪われているのが今の悩みの種だった。
 そこで起死回生というと大袈裟だが、発想の逆転でメカ部で生命を開発してみては、という案から、生きた機械が開発された。
 それがギンだった。
 メカ部の威信にかけて、技術の粋を集めて作ったギンの身体は戦闘にかけては完璧で、柔らかな人工の皮膚の下は霊気も撥ね返す強靭な薄い金属で覆われていて、刀で斬られても内部に重大な損傷を与えられることはまずない。
 身長は高いがスリムなボディは、筋肉だけで生み出すことは不可能な、圧倒的なパワーを発動できる。
 その他にも色々と能力を備えているが、特に日番谷が自信を持っているところは、彼のパワーの源だった。
 死神達の霊力とは似て異なるギンのエネルギーは、機械にして霊圧に負けないパワーを発し、しかも自家発力する。
 死神のように簡単にエネルギー切れになることもなく、半永久的に動き続けることも可能だ。
 そして彼は、彼の力で始解する、斬魄刀すら持っているのだ。
 虚との戦闘はもちろん、その際瓦礫の下に埋まった仲間を助けるために、巨大なコンクリートを持ち上げることすら、ギンは易々とやってのけた。
「感触はよかった。とりあえず、引き続きギンのデータをとるために、特別予算が下りた」
「ホントですか?やった!これで我がメカ部門の来期の予算も、少しは上がるかもvv」
「ああ、そうだな」
 上司である日番谷に全幅の信頼と尊敬を寄せるリンに、日番谷は一瞬唇にふっと優しい笑みを漏らしたが、あまり会いたくない相手が前からやってくるのを見て、すぐにきゅっと眉間にしわを寄せた。
「やあ、日番谷博士。ずいぶんと変わったものを連れているネ。それが噂の、君の自慢のロボットかネ?」
 技術開発局の花形である生物化学部門の長である涅は、とても性格は悪いが、その実力は悔しいことに、本物だった。
 姿も霊圧も、一見普通の死神と変わりないように見えるギンをひと目で看破し、外見から得られる情報が何かないかと、無遠慮なほどジロジロと見てくる。
「涅博士。…あなたこそ、最近素晴らしいものを作り上げたと聞きましたけど?」
「ほう、情報が早いネ?」
 ククク、と独特の嫌な笑いを漏らして、涅は目を細めた。
「機械と違って、生命は扱いが難しい。まあ、私ほどの科学者ともなれば、君のロボットなどとは比べ物にならないほどの生命体を作ることなど、造作もないことだが」
「なんですって!」
「いい、リン。相手にするな」
 日番谷が激昂するリンを抑えると、涅はまた人の悪い笑みを浮かべてじっと日番谷を見て、
「…日番谷博士、顔色が悪いようだネ?何か悩みでもあるようじゃないか。私でよければ、相談にのってやってもいいんだヨ?」
「…寝不足なだけですよ。科学者の宿命でね。あんたなら、わかるでしょう?」
「寝不足、それはいけないネ。私はショートスリーパーなんでネ。残念ながら、そんなことで悩まされたことなどないが」
「それはうらやましいですね。それじゃ。行くぞ、ふたりとも」
「は、はい!」
 何でも見透かすような涅の目から逃れるように、日番谷は言い置いて、さっさと歩きだした。
 実のところ、涅の洞察力は鋭く、痛いところを突かれていた。
 生命の扱いは、難しい。
 ギンは機械だが、学習し、自分で判断を下せる能力を持つ彼の電子頭脳は日番谷の予想を遥かに超えていて、まるで生命を持った生き物のようだった。
 優秀な個体にするためにあらゆる情報を流し込んだギンは最初こそ無垢で汚れない赤ん坊のようだったが、あっという間に色々なことを覚え、学習し、独特の個性を発揮し始めた。
 プログラムのはずのギンの言動は予想もつかないものばかりで、なかなか思い通りに動いてくれない。
 例えばギンが日番谷を絶対的に守ろうとするのはプログラムだが、その方法やその時々の判断は彼の意思が強くあればそれが優先されるようになっているため、そういったファジーな部分は制御のしようがない。
 機械の無機質さをぼかす為に採用した彼の京都弁も、表情が読み取りづらくてもさほど不自然さを感じさせないようにデザインされた彼の顔の作りも、その効果の程は期待以上で、自分達までもが困惑させられるものになってしまった。
 基本的には日番谷の命令をきくようにはしてあるのだが、日番谷の言葉のどれを命令ととるか、その命令に対してどのような形で従うのかまで細かくプログラムしたわけではなくて、そのことで後々これほどまでに悩まされるとは、従順な機械を扱うことに慣れ切っていた日番谷には、想像もできないことだった。
 睡眠不足。
 それもまさにそのひとつだった。
「…おい、何してる」
 ガコ、という鈍い音を聞いて、日番谷はうんざりしながら、ベッドから冷たい声を出した。
「あ、博士、起きてはった?」
「起きてはった、じゃねえ!寝てえんだよ、邪魔すんなって、何度言ったらわかるんだ!鍵かけてあっただろ、勝手に壊すな!」
 予想通りの相手の声を聞いて、日番谷はがばっと起き上がると、怒りに任せて怒鳴りつけた。
 今日もまた、新しく取り付けたばかりの鋼鉄の扉、最新式の電子ロックをブチ壊して、ギンが日番谷の部屋に侵入してきていた。
「せやかて、ひとりやと眠られへんもん」
「そもそもお前に睡眠必要ねえんだよ、眠りたかったら、タイマーかけて、スリープ機能のスイッチ入れとけ!」
 ギンの開発もひと段落ついて、ようやく普通に眠ることができるようになったのだ。
 それでもまだまだ難しい問題は山積みで、少しでも疲れをとり、気持ちを休めたいのに、ギンは毎晩毎晩こうして日番谷の睡眠を邪魔しにくる。
「ひとりやと淋しいねん。怖いねん」
 甘えるような、心もとなげな声。
 こんな言葉に騙されて、最初の頃は、同じ部屋で寝てやっていた。
「慣れだ、慣れ!大人しく自分の部屋に戻れ!」
 いや、そもそも最初は日番谷の方がギンが心配で、同じ部屋に寝かせて、いつ何があっても対処できるようにしていたのだ。
 もちろん、ベッドは別に用意した。
 だが、ギンが日番谷のベッドに潜り込んでくるようになるのに、二日とかからなかったのだ。
「無理や。博士のそばにおらんのに慣れることなん、どう考えても無理や。博士がボクをそないにしたんやろう、どうしてそない冷たいこと言うん?」
「そんなプログラムはしてねえ!」
 ひとりやと淋しい、と言ってすり寄ってきたギンは大きい子供のようで、最初は日番谷も、仕方がないな、と思って、ベッドに入ることを許した。
 淋しいという感情を持ったり、それを表現したりすることに、感動すら覚えたくらいだった。
 ギンは日番谷が手塩にかけて作った作品で、自分の子供みたいなものだった。
 そういう意味で、日番谷にとってギンはとても大切なものだったし、慕ってこられるのも、可愛いと思わなくもない。
 だが、日番谷がギンを、子供に対して思うように純粋に可愛いと思っていられたのは、最初の晩くらいだった。
「なんでなん。なんで一緒に寝たらあかんの?わかれへん。ベッドに入れてやー」
「ダメだダメだダメ!スリープ機能、俺が入れてやるから、そこに座れ!」
「嫌やー。あれ入れられるとなんもわからへんようになるし、なんもできへんし、なんも覚えてへんし…」
「眠るってのは、そういうもんなんだよ!」
 最初の晩は、隣で大人しく寝ていた。
 次の晩は、日番谷の手を握ってきた。
 その次の晩は、日番谷の身体を抱き締めてきた。
 身体が大きいからそういう形になるだけで、要は子供が母親の胸に甘えるような、そんなニュアンスなんだろうと無理やりでも納得できたのは、その辺りまでだった。
 その次の晩にはわざわざ日番谷が眠りに就いたのを見計らってから、そっとその手を日番谷の夜着の合わせ目に差し入れてきたのだ。
 しかもその手つきには明らかに性的なニュアンスが込められていて、もともと眠りの浅い日番谷は、びっくりして飛び起きた。
「な、なにしてやがる、テメエ!」
「何て…博士の身体めっちゃ柔らかくて気持ちええから、触ってみたくて…」
 きょとんとした顔で無邪気に答えたギンに、日番谷は言葉を失った。
 ギンには、ありとあらゆる情報を与えたけれども、生殖に関する知識は、全くといっていいほど、与えていない。
 それにそもそも外見的には普通の男と同じように作ってはあるが、ギンにその機能はつけていない。
 すなわち、性的に興奮することも、そういうことに興味をもつことも、それでそこが勃起することも、射精して快感を得ることも、ありえないことなのだ。
 だが明らかにギンは性的に、日番谷に興味を持っている。
 直観でそう感じ取って、日番谷は慌てた。
(一体どういったプログラムのミスなんだ!ありえねえだろ、それ!)
 ただ本当に純粋な興味だけで触れてきたのだろうと判断するのは、危険すぎる。
 日番谷は震えながら立ち上がってコンピューターを立ち上げ、ギンの身体をモニターにつないでから、女性がセクシーな姿でポーズをとっている写真が載っている雑誌を渡した。
 ギンはごく冷静にそれを見て、不思議そうな顔で日番谷を見た。
 モニターには全く何の反応もなかった。
「…それ見ても、何も感じないか?」
「…別に」
「じゃあ、これは?」
「別に」
「これは?」
「別に」
 念のため男性と子供のそういった写真も見せてやるが、ギンは全く何の反応も興味も示さなかった。
 それどころか、若干退屈そうにすら見えた。
 少々安心はしたが、これだけでは、詰めが甘い。
「…じゃあ、ギン…」
 日番谷は意を決して自分の着物の裾を、チラッとだけはだけて見せた。
「!」
 とたんにギンは大きく反応を示し、モニターの数値が、一気に上がった。
 人間でいうところの、脈拍上昇、呼吸数増加、発汗…というような。
「わーーーーーーー!!!!」
 日番谷はその反応に驚いて、慌てて着物の裾を合わせた。