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年の初めのロマンスロード−3

 
 こちらは人込みの上に頭が出ている市丸だったが、それ故逆に、埋もれきっている日番谷がどこにいるのか、さっぱりわからなかった。
 その上賽銭箱の前は、まさに戦場だった。
 いや、これは賽銭箱とは言わない。 
 賽銭スペースだ。
 本殿の前に赤いシートのようなものが敷かれ、それを囲うように縄が張られていて、皆そのスペースめがけて賽銭を投げまくっている。
 大量の参拝者をさばく効率的な方法と言えようが、もう、ありがたみも何もないような勢いで、皆投げた賽銭が人の頭に当たろうがどこへ飛んでゆこうがお構いなしで、そこが賽銭スペースだと見るや、いっせいに小銭を投げ始めるのだ。
 背の高い市丸などは、投げられてくる小銭が頭に当たって当たって、これまた日番谷を探すどころではない。
(こ、これは、いったんこの中から出な、なんともならへん!)
 もう参拝どころではなく、市丸はなんとかかんとか人込みから抜け出すと、恐ろしい戦いから帰ってきたみたいな有様で、呆然と自分がいた行列を眺めた。
 その中のどこに日番谷がいるのか、どうやって彼を助け出したらいいのか、さっぱりわからない。
(いや、あかんて!マジで最悪、あの子圧死するで!)
 調子に乗って、あんな不埒な真似などしなければよかった。
 あのまましっかりと抱き締めて、彼を守ってやらなければいけなかったのに。
 人の群れの中で、あちこちで聞き覚えのある声が、悲鳴や咆哮を上げている。恐ろしい。
 見たところ、日番谷はそのあたりには見当たらず、まだあの怒涛の中にいるか、抜け出たとしても向こう側だ。
 まだ揉まれているならば、なんとかして、あの中から愛しい恋人を助け出さなければ、と思った市丸は、意を決して、果敢に戦場へ舞い戻った。
 飛び込む寸前、あらっ、ギン!という声が聞こえ、揉まれに揉まれている間に色んな声で何度も名前を呼ばれたような気がしたが、市丸は下の方しか見ていなかった。
 流れに逆らって人をかき分けてかき分けて、とうとう市丸は銀色の髪と見覚えのあるマフラーを見つけ出して、掴まえた。
「冬獅郎!」
「い、いちま、」
 声と同時に、大きな翠色の瞳がぱっと振り向いた。
 それを見た瞬間、市丸の胸に色々な熱い思いがわーっと溢れてきて、夢中でその身体を捕まえて、再びもみくちゃになりながらも流れに乗って、ようやく向こう側へ吐き出された。
「ああ〜、もう、ひどい目会うた。びっくりしたわ、もう〜」
 ふうと一息ついて日番谷を下ろすと、日番谷は目も当てられないほどボロボロになって、呆然としていた。
「大丈夫やった?ほんま、恐ろしいな〜」
 日番谷の前にしゃがんで乱れた髪をすいてやり、着衣を整えてやると、初めて日番谷は我に返ったようにブルッと震えて賽銭場を振り返り、
「…俺、さいせん出来なかった…」
「ボクもや」
 市丸が答えると、日番谷はがっかりしたようにタメ息をついて、俺、修行が足りねえみたいだ、と言った。
「いや、ボクも、…ゴメンな。あないな中で、離してもうて」
「そんなことは、いい。俺もちょっと、なめてたし」
 恐らく日番谷は、あの殺人的なラッシュの中で、賽銭箱よりも、市丸を探していたのだろう。
 そうでなかったらいくらなんでも賽銭くらいできただろうし、嵐の中から出ることもできただろう。
 市丸はボロボロになった日番谷の頬をそっと人差し指の背で撫でながら、優しく笑った。
「…このままふたりで、別のとこお参り行こうか…」
「いや、再チャレンジだ」
「マジで?!」
 こんな目に会ったというのに、ポケットから小銭を出して再び闘志を燃やす日番谷に、市丸も仕方なく立ち上がって賽銭を用意して、まだまだ勢いの衰えない大混乱の賽銭場を眺めやり、ふ〜、やれやれ、と呟いた。


 ようやく賽銭を終え、戦場から抜け出ると、その辺りに見知った顔は既になかった。
 気を利かせてくれたのだろうな、と市丸は思ったが、日番谷は忘れて行ったと少し怒っていたようだった。
「ええやん。お守り買って帰ろ。…縁結びとか」
「そういう神社じゃねえだろ、ここ」
「絵馬も書いて行こ。ふたりが幸せになれますようにて」
「柄じゃねえだろ」
 言いながらも、市丸がお守り売り場を覗いていると、日番谷も顔を覗かせて、「お前は厄除け守りとか買った方が良くね?…顔からして」などと言ってくる。
「ええの。ほら、キミの分」
 買った縁結びのお守りの片一方を渡そうとすると、日番谷は怒ったように眉を寄せて、
「なんで俺がピンクの守りなんだよ。…そっちの青い方なら、もらってやってもいい」
「ええよ、ならこっち」
 ポイントそこ?と思いながら交換してやると、日番谷はちょっと満足げだった。
「…ほんまにそれ、ずっと持っててくれる?」
 渡されたお守りをポケットにしまうと、市丸がふいに、柔らかな、それでいて少し甘えるような色を含んだ声で聞いてきた。
「見えるところにはつけねえぞ」
「そうなん。ボクは帯につけるけども」
「やめろー!必然的に、色々推測される」
「ええやん、みんなもう知っとることやし、お守りやもん。肌身離さず持っとくで、ボク」
「見えねえところにつけろ」
「しゃあないなあ」
 苦笑しながらも市丸は、ピンクのお守りを提灯の灯りでうっとりと眺めて、
「…ああ、きっとこれ、ボクの一生の宝物になるんやろうなあ…」
 独り言みたいに、しみじみと言った。
「大げさだな」
 日番谷が顔をしかめると、市丸は笑って、「ああ、うん、ボクの一生の宝物は、キミやもんね」と臆面もなく言う。
「恥ずかしいぞ、それ」
 思わず突っ込むと、市丸は嬉しそうに近寄ってきて、なあ、キミ、あないまでして、何願ったん、と聞くので、秘密だ、と言うと、ニヤリと笑って、
「言われへんいうことは、ボクのことやね?」
「バカ、違ェよ」
「なんや〜〜〜」
 冷たく切り捨ててやると、市丸は大きな身体全部を使って、しょんぼりをアピールしてくる。
 ウザ!と思ったが、日番谷はポケットの中でお守りをぎゅっと握って、
「…来年は、ふたりで伏見稲荷にお参りに行くか」
「ほんま?!」
 小さな声で言ってやると、市丸はぱっと顔を上げて、あっという間に復活した。
「伏見稲荷はここより参拝者多いよって、気合入れよな?」
「マジかよー」
「お稲荷さんなめたらあかんで」
「…ま、いいけど。今度は絶対、こんな目には会わされねえ」
「ボクがついてるよって」
「当てにしてねえ」
「え〜〜〜〜〜」
 吐く息は白く、しんとした空気はやっぱりそれなりに厳かで、さりげなく肩を抱き寄せてくる市丸の手に気付かないようなふりをして、日番谷もさりげなく、そっと市丸に身を寄せていった。



よいお年を!