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ただ今外出中です−3

 少女が元気に部屋に帰ってきて、日番谷の仕事は終わった。
 藍染が来てからというもの、毎日は新鮮な刺激に満ちていた。
 そういった刺激に誰より飢えていると思っていた市丸が予想外に大人しいのは気になるが、今までは何でも市丸が一番だったから、拗ねているのかもしれない。
 抜け目のない市丸のことだから、自分が知らない間に藍染に色々聞いて、ここから逃げ出す算段をしているのではないかということだけが、心配だったが。
「日番谷はん、日番谷はん」
 夜も更け、皆が寝静まった頃、市丸がそっと、囁きかけてきた。
「…なんだよ、寝ようとしてたのに」
「疲れとるとこ、起こしてゴメンな?せやけどどうしても今晩やないと、あかんねん。千載一遇のチャンスやねん」
「え?」
 嫌な予感がして、日番谷の眠気は、いっぺんで覚めた。
「ボクはここから出るけども、キミはどないする、日番谷はん?」
 思った通りの恐れていた言葉が、市丸の口からさらりと飛び出した。
「出るって…お前…」
「このプレートから抜け出す方法、藍染はんに教えてもろたんや。それには今晩のお月さんの力が必要やねん。ボクはこのチャンス逃すつもりはないけども、キミはどないする?一緒に来る?それとも、このままここに残らはる?」
 絶望しかけた日番谷の胸に、パッと光が射した。
 市丸は、日番谷さえその気なら、一緒に連れて行ってくれるつもりなのだ。
 一枚のプレートの裏表という、決して解かれることのないつながりは失ってしまうが、一人で取り残されるよりは、ずっとマシだ。
「…ひとりで残ったって、ずっと外出中じゃ、役に立たねえよ」
「一緒に来てくれはるいうこと?」
「…お前が行くって言うなら…仕方ねえよ」
 本当は泣きたいくらい嬉しかったのに、日番谷にはそう答えるのが精一杯だった。
「よかった。日番谷はんがイヤや言うたらどないしよう思うてたんや」
 それはこっちのセリフだ。
 言いたかったが、ぐっと堪えた。
「せやったらな、こうするんよ。もうじき藍染はんの鏡にお月さんの光が入って、こっちに反射してくるから、そうしたら思い切り身体揺らして、くるりと一回回るんよ。最初にボクに光当たって、すぐにキミに光当たって、そうしたらう〜んと伸びをして、そこの廊下に飛び出すんや」
「うん」
「ためらったらあかんよ。心の底から出たいて願いながら飛び出すんよ?」
「わかった」
 本当は半分不安だったし、半分はこのままでいたかったが、置いていかれるのだけは、心の底から嫌だった。
「もうすぐやで。用意はええ?」
「ああ」
「ボクがついとるからな?絶対に、大丈夫やから。一緒に行こうな?」
「…うん」
「来るで!」
 市丸の声とともに、藍染の鏡がピカッと光ったのが裏になった日番谷にもわかった。
「回るで!」
「おう!」
 思い切り身体を揺らすと、ふわりとプレートが回り、光が直接日番谷を包み込んだ。
「あっ…」
「日番谷はん、今や、飛び出すんや!」
「市丸…!」
 夢中だった。
 眩しい光の中、何もわからないまま市丸の声だけを頼りに、大きく伸びをするように、プレートから飛び出した。
 何かからすうっと抜け出るような感覚の後、急激に身体が重くなり、固いものの上に、ドッと落ちた。
「痛ッ…」
「…日番谷はん…」
 掠れた市丸の声が、いつもとは違うところから聞こえた。
 自分の身体の奥、裏側の方から聞こえるのではなく、自分の身体から少し離れた、少し高いところから聞こえた。
 声の方を見上げると、見たこともないスラッとした長身の男が、息を飲むように自分をみつめていた。
「…市丸…?」
 予想していた姿とは、全然違った。
 予想していたよりも大きくて、細くて、吸い込まれるように、印象的だった。
 今までずっと一緒にいて、この姿を見るのは今が初めてだということが、とても不思議に思えた。
 初めて見るのに懐かしいような、声だけ聞いていた時よりもどうしようもなく、その姿に心を惹かれた。
「日番谷はん…どないしよう、まさかここまで可愛えとは…、予想を遥かに超えとるわ…」
 市丸の声は、本当に感動したように、震えていた。
「ボクはほんまに、なんも知らへんかった。なんも知らんまま、死ぬところやった。なんて可愛えんやろう。この世のものとも思われへん…」
「な、何言ってんだよ…」
 そのあまりの感激ぶりに、日番谷は戸惑った声を出した。
「ボクの姿はどないですか?お気に召していただけました?」
「…デカすぎるところは…気に入らねえけど」
「キミは思った以上に小さいわぁ。小さくて、可愛えわ〜」
 小さいと言われて、日番谷は屈辱に、ボッと頬を染めた。
「わ、悪かったな!」
「悪ないよ。可愛えよ。もうすっかり、メロメロや。キミの姿知らんかった頃には、もう戻られへん」
「市丸…」
 言いかけた時、廊下の向こう、階段の下で、音がした。
 その音にハッとするやいなや、市丸は日番谷の腕を取って、向かいの部屋に滑り込んだ。
 どさくさに紛れて抱き締められ、その強い腕と大きな胸に、ドキドキしてしまう。
「静かにな。ボクら、今人間に見られたら、消えてしまうんよ?」
「えっ、そうなのか?」
「まだ完全な身体やないんやって。羽化したばかりの蝶みたいなもんや言うたらわかるかなあ。…せやから、ボクには、時間がないねん」
「時間?」
 ぎゅっと強く抱き締めながら、市丸は悲しそうな声で、
「ボクがキミとこうしていられるのは、明日の朝までやねん」
「なんだって?!」
「シッ、静かに!みんなが起きてまう。…堪忍な?それしか方法、なかってん。せやから一生のお願いや。今夜だけでええから、ボクの恋人になって?」
「バッ…」
 あまりの言葉に、頭にカッと血が上った。
 せっかくここまできたのに、自分をおいて、どこに行くつもりだというのか
 その上一夜だけ日番谷が欲しいなんて、自分勝手にもほどがある。
「誰がそんな願いきいてやるか!絶対に、絶対に、嫌だからな!」
 思わず市丸の手を振り払い、身体を離して、キッと睨み上げる。
 市丸の顔が、絶望したように歪んだ。
「…キミがボクのことよう思ってへんのは、知っとるよ。せやけどこれが、ボクの最初で最後のお願いや。無理言うてるのもわかっとるけど、ほんまにこれだけは、一生のお願いやねん」
「嫌だったら、絶対に、嫌だ!テメエ、こんなことしたくて、これだけのために俺を誘ったのかよ?最低だ!今まではそれでも俺の半身だと思って色々我慢してたけど、本当にお前、最低だ!」
「日番…」
「触るな!」
 撥ね付けたとたん、市丸の表情が、さっと消えた。
「そうなんや…。ボクと一緒に来てくれる言うてくれはったから、もしかしたらキミもボクのこと、ちょっとは好きやと思うてくれとるかと思ってもうたけど、そない嫌われとったんやね…」
「嫌いだ、テメエなんか!いつも、いつもウソばっかり…俺の気持ちなんか考えないで、いつもテメエのことばっかり…」
 生れ落ちた瞬間から、日番谷の心の半分は市丸に持っていかれてしまっているのに、この上身体を重ねてしまって、一人取り残されたりしたら、どうやって生きていけばいいのかわからない。
 どうしても離れなければならないのなら、身体だけでも、自分のものとして守り抜きたい。
 頑なに拒絶する日番谷を見て、市丸の目が悲しそうに揺れた。
「そうやね。ゴメンな。…でも、もうひとつゴメンな、ボク、キミのことはほんまに大切にしたいねんけど、これだけは、譲れんねん…」
 静かだった声の中に、不穏な色が混ざったと思った次の瞬間、長い腕が信じられない速さと強さで、日番谷の腕をさっと掴んだ。