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眠れる森の氷の王子様−6

 十番隊の氷の山は、次の日見事に溶けてなくなった。
 日番谷の風邪も治り、隊長が復帰してようやく通常業務に戻れた十番隊は元気を取り戻したが、
「今度は市丸隊長が風邪で倒れたらしいですよ。隊長の風邪、もらっちゃったんですかね〜?」
 松本にさらりと言われて、日番谷はギクリとした。
「い、市丸が風邪…?」
「あんな奴でも、風邪ひくんですね。まあ、あいつの場合は、自業自得でしょうけど」
 怒ったように言う松本の言葉に、日番谷の胸に複雑な思いが込み上げた。
 あの後、肌に浮かんだ熱の蝶も、市丸とともに遥かな高みに上り詰めると同時に、本当に消えてなくなった。
 とんでもない目に会わされたような気はするが、これは礼を言わないといけないのだろうか…と、朦朧とした頭で日番谷がぼんやりと考えながら息を整えていると、いつまでもべったりと貼り付いて離れないでいた市丸が、「もう冬獅郎クンのことが好きで好きでたまれへん」と、バカなことを言い出した。
「ああ、…うん、わかった。礼は言う」
 仕方なく言うと、市丸はますますしっかりと抱き締めて、
「礼なんかいらん。ボクの気持ちは、わかってくれたやろ?本気やねん。ボクと、付き合うて?」
「ヤダ。男となんか、付き合わねえ。それより、離せ」
「イヤや。付き合うてくれる言うまで離さへん」
 離せ、イヤや付き合うて、イヤだ、を何度か繰り返しているうちに、蝶は追い出したとはいえ、まだ残る熱でクラクラしてきた。
「ああ、もう、じゃあ好きにしろ、俺は寝る。寝て起きてまだいやがったら、今度こそ本気で凍らせる」
 言って目を閉じると、体調が悪いため、すぐにうとうとと眠りに入った。
 次に目が覚めた時にはずいぶん良くなっていて、まどろみの中、とても温かくて気持ちがよいと思っていた温もりの正体が市丸だったと気が付いて、驚きとともに、ぱっちりと目が覚めた。
(こいつ、いつまでくっついてやがるんだ!本当に凍らせてやろうか!)
 怒って見上げるが、市丸は力尽きたように眠っていて、すっぽりと日番谷をくるんでいるその肩が、日番谷がみじろいだことで布団から少しはみ出して、寒そうにブルッと震えた。
「……」
 市丸の、規則正しい寝息が。ゆるやかな心臓の鼓動が。その、温もりが。
 凍らせてやると言ったのに、まだ冷気の残る中、そんな薄着のまま、手放し難いように、大切なもののように、いつまでもしっかりと抱き締めて眠っている市丸に、うっかりほだされた。
 こいつが、目を覚ますまで。
 凍らせるのは、それからでもいいか、と、何故かまた熱くなった頬を手の甲で押さえて、思った時だった。
「きゃーーーーー!!!隊長―――――!!!」
 冷気が落ち着いてきて、中に入って来れるようになった松本が、様子を見に来て悲鳴を上げ、市丸と一緒に飛び起きた。
「なんや〜、乱菊。驚かせんといて〜」
「ま、松本、こ、これは、何でもねえから!」
 何でもないと言ったところで、二人一緒に布団に寝ていた上、日番谷は素っ裸で、すっぽりと市丸の腕の中だ。
 とんでもないところを見られて最悪だったが、嵐のように怒りまくった松本に殴られ蹴られ、罵声を浴びせかけられながら追い出されても、市丸は全く悪びれなかった。
 最後の最後まで、本気やから責任とるからと言い続け、それでも追い出されてしぶしぶ帰っていったのだ。
(見舞いに…行くべきか??)
 日番谷のあの風邪がうつったなら、あの蝶が身体の中を飛び回っているかもしれない。
 どこかに行ったと思った蝶は、市丸の身体の中に入っていったのかも。
 熱の蝶を追いかけてきた市丸の熱い唇を思い出して、カッと身体が火照るのを感じた。
(あんな冷凍庫みたいな部屋に、まん丸になるほど着込んでまで、お粥を持って、あいつ、来てくれたんだよな…)
 身体が目当てだったなら、終わったらさっさと帰ればよかったのに。
 そうしたら松本にもバレなかっただろうし、風邪なんかひかないで済んだかもしれないのに。
『風邪なんひいて弱っとる時は、誰かにそばにいてほしいもんやろうに。こないなところで、ひとりぽっちで、治るもんも治らへんなあ』
 市丸はそう言って、吐く息も凍るあの中で、本当にずっとそばにいてくれたのだ。
 市丸は風邪をひいたからといって三番隊を凍らせるようなことはないだろうから、そばには吉良がいて、ひとりぽっちじゃないかもしれないが、…
(…ひとりぽっちじゃなかったら、市丸はあの熱の蝶を、吉良に解放してもらうのか??)
 突然そう思ったら、落ち着かなくなってきた。
 卯ノ花はあの蝶は、『特別な人』にしか見えないと言っていたし、事実卯ノ花には見えないようだった。
 何がどう『特別』だったら見えるのかはわからないが、市丸の今の状態が気になって気になって仕方がなくなってきた。
(…弱っている今なら、何もできねえだろ。見舞いにくれえは、行ってやっても、いいかも)
 そう思っただけでドキドキしてきたのは、どうしてだろうか。
 ネギの粥の作り方、お前知っているか、と松本に聞くと、松本は呆れたように、知りませんよもう〜、と言った。
 それは、「作り方なんか知りませんよ」という意味ではなく、「どうなっても知りませんよ」という意味だったかもしれないと、後になって日番谷は思ったのだった。



お終い♪