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Judie−1

 殺風景な暗い部屋の中、診療台のような質素なベッドの上に、小型の手術用ライトのような光が当てられていた。
 その周りを、神経質そうな男がぐるぐると回りながら、ベッドの上の少年の身体を、興奮したようにみつめていた。
 少年は全く意識がないのか、人形のようにベッドに仰向けに横たわり、瞼を閉じ、何の表情もそこには見えないが、極めて整った、美しい顔をしていた。
 髪は銀色で、一糸まとわぬその肌も、抜けるように白く、ライトの下で輝いて見えた。
 それをみつめる男の荒い呼吸が、静かな部屋に大きく響いて聞こえる。
 やがて男は軽く息を飲んで、震える手を少年の身体に伸ばした。
 骨ばった手が柔らかな肌に触れて、ふわっと沈む。
 そのままそうっと、肌の上で指を滑らせた。
 瑞々しく滑らかなその感触に、ほうっと感嘆の息が漏れると同時に、たまらなくなったように、男はベッドの上に乗り上げた。
「日番谷隊長…っ!」
 感極まった声で名を呼び、小さな身体をぎゅっと抱き締めた時、暗かった部屋に、外へと続く扉から、さっと光が入った。
「おい、そこで何をしている!それは何だ!」
 続けざまにパッパッと当てられた光の中で、男は蒼白になった骸骨のような顔をひきつらせながらも、腕に抱いた美しい少年の身体は、決して放そうとしなかった。




 日番谷は苛々としながら十番隊の執務室で書類を片付けていたが、そのうち立ち上がり、氷輪丸を持って部屋を出た。
 先日十番隊へ現世の任務が下り、一足先に松本が先遣隊を率いて現世に向かったのだが、日番谷は一人尸魂界に釘付けになっていた。
 必ずしも隊長格が出向かなくてはならない任務ではなかったし、松本を信用していないわけではなかったが、最初から副隊長の任務ならともかく、日番谷も現世へ向かうこと、と言われていながら足止めを食っていることが、日番谷を苛立たせていた。
(くそっ、なんで、俺だけ…)
「十番隊長さん、みっけ♪」
 苛々しながら廊下を歩いていたら、突然大きな手が伸びてきて、さっと捕まり、包まれながら、どこかへ連れ込まれた。
「!市丸…!何しやがる…!」
 瞬時に瞬歩で、どこか暗い部屋へ連れ込まれたと気付き、日番谷は悪態をついた。
 周囲を見回そうと顔を上げると、下りてきた唇に、ちゅっとキスをされてしまう。
「イキナリ盛ってんじゃねえ!」
「それは、無理やわ。キスしたくなるもん、キミの唇」
「放せよ、何考えてんだ、テメエ!」
「キミのこと」
 突然現れて、突然その気になっている市丸に、日番谷は慌てた。
 こういうことは珍しいことではなかったが、基本的に日番谷は就業時間中にベタベタするのは嫌いだったし、今は特に任務の前で、ただでさえ気持ちがピリピリしていて、とてもそんな気分になれない。
「バカ、お前、俺は今、任務前の、待機中なんだぞ…!」
「そうや。任務前や。つまり、任務に行ってもうたら、これからしばらく、また会えへんいうことやろう?」
 間髪入れずに答えられて、そういうことか、と日番谷は舌を打った。
「その前は、ボクの方が任務やった。会えへん間、辛かったんよ。せっかく急いで終わらせて帰ってきたゆうのに、今度はキミの任務や。会う時間なん、無理でも作らんといつまでたってもあれへんねんよ?」
 そんなことはわかっている。
 相手が市丸でなかったら、隊長格同士の恋愛で、こんなに頻繁に会えてはいまいし、きっともっとずっとクールな付き合いになっていたに違いない。
 だが日番谷は、こんな情熱的な恋愛自体が、嫌だった。
 時間は一分一秒ですら惜しいのに、やるべきことや覚えるべきことは山のようにあるのに、まだまだ目指す自分には程遠いのに、そのための時間も気持ちも体力も、みんなみんな持っていかれてしまうからだ。
 恋愛などしている時ではないのに、彼を拒み切れない自分が呪わしい。
 今だって、いくら任務前で気が立っていたからといって、いとも簡単に市丸に捕まってこんな部屋に連れ込まれてしまったのは、市丸がそういう術に長けているからとか、彼の能力が上回っていたからということよりも何よりも、市丸だと思った瞬間に日番谷の気持ちに隙ができて、無意識にその行為を許してしまったからなのだ。
 そして市丸はいつもそうしたことを全て心得ていて、見抜いていて、承知の上で仕掛けてきていることが、死ぬほど悔しい。
 日番谷がどれほど天才児と騒がれていても、異例の早さで隊長まで登り詰めても、絶対に、絶対に、市丸の年齢に追いつくことは、できないのだ。
 死神としてどれだけ力を磨いても、初めての恋であることも、自分がまだ子供の身体であることも、どうしようもない。
 ましてや今は日番谷は隊長としても新米で、知識も、経験も、まだ市丸には及ばないことも、悔しかった。
 市丸は、任務前に足止めをくらったからといって、こんなふうに苛立つようなことはない。どんと座ってじっと待つこともうまければ、即座に動き出すことも、必要のない時に適度に緊張を緩めることもとてもうまい。
 市丸は膨大な量の仕事もいつもうまくやりくりして、自分の時間を作ることも、うまい。
 市丸は気持ちの切り替えもとてもうまく、どんな嫌な任務も平然とこなし、何よりいつも冷静だ。
 市丸は仕事と恋愛を区別することも、両立させることも、いとも簡単にやってのける。
 こんな嫌な奴なのに、隊長としてのそうした資質はきちんと持っていて、その全てが日番谷は悔しくて、市丸といるとやたらと焦燥感ばかり覚えてしまうのだ。
 他の隊長に対しても感じないことはないのだが、それらはいつも大きな目標としてそこにあり、それを恋人とすることとは、根本的に違うように思えた。
 それでも市丸がそばにいると、いや、彼のことを考えただけで、勝手に鼓動は速くなるし、指の先まで熱くなって、思考もめちゃくちゃになる。
 信じられないようなことを市丸に許してしまうし、信じられない判断をしてしまうし、そんな自分をどうすることもできない。
 それが更に心底悔しくて、腹立たしくて、市丸に対してはどうしても素直になれないし、市丸のように積極的に恋愛をする気にもなかなかなれないでいた。
「仕方ねえじゃねえか、俺達は死神だし、隊長なんだから。それに、お前はどうか知らねえけどよ、俺は任務前に邪魔されるの、大嫌いなんだ。いつ呼び出しが入るかわかんねえんだぞ。とっとと失せろ。」
「もう、やめたらええやん、こないな任務。乱菊一人でなんとかするわ」
 あっさり言う市丸を、日番谷は本気で睨みつけた。
「バカ野郎!そんなわけにいくか!俺はな、『あの時俺が行っていれば』って後悔だけは、絶対にしたくねえんだよ!」
 それに、隊長の出陣が必要ないかもしれない任務だとしても、経験を積むということは、大切なことだ。
 特に今の日番谷には、とてもとても必要なことだ。
 それを、恋人と会っていたいという理由でふいにしてしまうなんて、有り得ない。
「せやけど、なんや今回は、最初からケチついとるみたいやし?」
 だが市丸は、またもあっさりと、痛いところを突いてきた。
「キミが焦っても、義骸がまだできてきてへんのやろう?義骸で現世降りろいう指令やったら、できてくるまで待っとるよりしゃあないやん」
 そうなのだ。
 義骸は常に、必要な時に必要な分だけ作られることに決まっている。
 それでも緊急に必要になった場合も即刻対応できるようになっているはずなのに、何故か今回、日番谷の義骸だけこなかった。
 そのために、取り急ぎ副隊長引率で日番谷だけが尸魂界で待機するハメになっているのだ。
「こんな十二番隊の不手際で、いつまでも待ってられるかよ。早くしろって催促してくる」
「やめときや。催促したら、早うできてきてまうやん」
「早くさせるために催促すんだよ!」
「もともと一刻を争うような任務でもないんやろ?焦らんと、のんびり待っとったらええやん。な?なかなか会われへん可哀相なふたりに神様がくれた時間や思うて、ゆっくり過ごそう?」
 背筋が熱く痺れるような、甘ったるい声。
 こういう時、日番谷は市丸との恋愛が自分を堕落させるものなのではないかと、強烈に思って怖くなる。
 それは死神の任務よりも恋愛を優先させるように誘いかける悪魔の誘惑であり、成長を妨げる足枷のようだ。
 いつも日番谷は早く一人前になりたい、もっと強くなりたいと思って精進しているのに、市丸はそれほど日番谷の成長を望んでいないように思える。
 日番谷の身体が小さくて可愛いと言って喜び、日番谷に性体験がなかったことを喜び、子供に対するように、日番谷が市丸に何を言っても何をやっても怒らない。
 怒らないが、自分が日番谷にどうして欲しいかは常に伝え、言葉や態度や行動で誘導し、自分の色に染めようとする。
 思い通りにしようとする。
 だからいつも、ぶつかってばかりだ。
「そんな時間ができたって、落ち着かねえよ!さっさと行ってさっさと済ましてきた方が、よっぽどいいだろ!」
 どうしてこんな男と付き合っているのだろうと、何度も何度も思うのに。
 市丸の手を振り切って強く言うと、市丸はやや首を傾けて、長い前髪で、その表情が陰になった。
「…ボクは今回の任務、慌てて行ってもええことあれへん思うんやけど」
 突然低く、真面目な声で言う市丸に、日番谷は黙ったまま足を止め、振り返った。
「いいことねえって、どういう意味だ?」
「考えてもみいや。隊長格の義骸だけできてへんなん、おかしいやろう?十二番隊かて、一流やで。不手際いうても、理由があるやろ」
「……」
 言われて、ドキッとした。
 おかしいとは、確かに思った。
 理由も問い詰めたが、日番谷隊長の身体は皆さんとは少々事情が違うため、勝手が違って手間取っております、と暗に日番谷の身体が子供であることが問題であるような言われ方をして、ムッとして更に問い詰めると、今度は何やら難しい専門用語を並べられてごまかされた。
 軽んじられているように感じたために頭に血が上り、それ以上冷静に考えていなかったかもしれない。これまでにも度々あったような、意味のない嫌がらせかもしれないとも思った。
 こういう点、市丸は何事に対しても実に冷静で頭が回り、情報力がある。
 何か知っているのだと即座に察して、日番谷は眉を寄せた。
「…理由って?」
「キスしてくれたら教えてあげようかな?」
「ふざけるな、何か知っているのなら、教えろ!」
「ふざけてへんよ。大マジやで。キミにキスしてもらうためなら、手段選ばへんいうことや」
「お前…それがふざけてるって言ってるんだよ!」
 ガンと脛を蹴ってやると、市丸はおおげさに悲鳴を上げて、その場にしゃがみこんだ。
「ひどい、ここ、前の任務で怪我したところなんやで。今の蹴りで、傷口開いてしもうた」
「ウソつけ、テメエ、怪我したなんて、」
「言うわけないやん、カッコ悪いもん。キミの前ではいつでも完璧な男でいたい思う男心…」
「バカ野郎!ンなもんカッコつけてどうするんだ、見せてみろ!」
 慌てて日番谷が市丸の前にしゃがみ込み、袴を上げて足を見ようとすると、
「…隙だらけや」
 苦笑の混じった呆れたような声が耳を掠めたと思ったら、いきなり両肩を掴んで引き寄せられ、唇を奪われた。