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白銀様−2

不思議な笑い顔で、日番谷が顔を出したことを驚くよりも喜ぶみたいに優しく頷いた。
 村でも近隣に住む離れ者でも見かけたことのない顔だ、そして日番谷以外で初めて見る銀の髪の男。
 本当に誰だと思って聞いて、でも直ぐに思い浮かぶのは昔は居たという神官。
 男は白い着物に黒いはかま姿で、こんなに森の奥にいると云うのに着物は織りたてのように綺麗だった。
 ここが供物を捧げる神聖な場所ならば、居るのは当然神官だろう。
 日番谷たちが知らないような昔に、ここに住み移ったのかもしれない。
 「ボク?ボクは市丸ギンや。・・・キミは? 何クンやろ?」
 日番谷が何故ここに居るのか当然知っているみたいに名前だけを聞いてくる男は、背がすごく高く6尺はゆうに超えているようで、階段上の日番谷と目線が丁度合ってしまう。
 「日番谷・・・・冬獅郎だ」
 「ひつがや、とうしろう・・・。」
 口の中で舐めるみたいに日番谷の名前をくり返して、市丸と名乗る男は更に笑みを深くした。
 その姿を見ながら、村に生まれてきた銀髪の人々の行き先はここだったのだろうかと考えはじめた。銀髪の容姿をもった人々は神官を勤める決まりがあったのかもしれない。
 今日の日番谷みたいに村人に知らされないまま森に入り、ここで暮らす決まり。それなら消えたとされる理由は分かる。
 それが災いと縁遠くなり、神官が必要なくなり、彼らは忘れられ様々な話が口頭だけで伝えられるから間違ったり誤解されたまま今になっているのかもしれない。
 村人たちは平穏な生活をしていたけれど、彼等は昔と変わらず村を守るために森に留まっていたのだろうか?
 その鏡以外でみる銀髪をもの珍しくじっと見つめれば、男の手が差し出される。
 「よう来てくれはったね、待っとったよ?」
 まるで供物として選ばれるのが日番谷だったと、全部承知しているみたいな口調に自然と手を伸ばせば当たり前みたいに握られて、再び社の中に連れ込まれた。
 さっきと変わらない室内のはずなのに、この男と一緒に入った途端、その空間は言葉にならない特別な場所に変わっていた。
 まるで神聖な空き家から、主が快適に過ごすための空間に社が模様替えされたみたいだ。
 「何処へ・・・?これから俺はどうなるんだ?」
 最初の部屋の奥にある朱色の戸を開けて柔かな明かりの入った廊下を抜け、更に奥の間に抜けた。そこは神社の奥に人が暮らす居住区があるように、ごく普通の畳の部屋があり、数枚の座布団が部屋の隅に置かれ、その内の一枚を勧められて座った。
 部屋は広いけれど変わったところはない。けれど、衣装箪笥は扉を補強するように帯金具が十文字に打ち付けられているし、襖は見たことがないような上等な紙にすばらしい枝振りの松の襖絵が画かれている。
 つまり、ここは確かに自分たちが暮らす家とは違う家屋なのだ。
 ぐるりと部屋を見渡した日番谷の視線が、自分に戻るのを待っていた男は、ようやく日番谷の前に座ると、いつの間に用意したのか甘い香気のするお茶を勧めてきた。
 「どうなる?なんや、聞いてへんの? キミ、今日からボクとここで暮らすんよ?」
 その言葉にちょっと困惑しながら更に聞いてみる。
 「その、それはお前が神官で、俺もその神官を勤めるってことなのか?」
 「神官?そない煩わしいコトなんてせんでもええよ。ただボクとココにずっと一緒にいて欲しいだけや」
 返ってきた答えに更に驚けば、説明が続いた。
 「もしかしたらキミは生贄やら供物やら云われてこの森に入ったのかもしれへんけど、ボクは危険な目に合わせたりせえへんよ。ただ、ここで暮らしてもらう云うてもここは神様の空間や、ちよっと儀式はしてもらわな、あかんのや。」
 真っ直ぐに見つめられて、それが強制や義務なんかではなくて、まるで日番谷の意志を尊重するみたいに・・・いや、尊重どころか男の瞳が強く願っている。そして日番谷に伺っている。
 『ええやろか?』と。
 その眼差しが、怖いぐらいに真剣で、そして情熱的に見えてしまい、なぜそんな風に見るのか分からないまま頬が熱くなってしまう。
 「・・・なんで俺なんだ? こんな見た目してるからか? 髪の色がこんなだと、みんなココに来てその儀式すんのか?」
 まるで照れてしまったみたいな自分を誤魔化すようにぶっきらぼうに言えば、今度は市丸が驚いている。
 「なんやて?そんな訳ないやろ、ボクこの儀式ほんま初めてやっ!・・・それにキミは知らんやろが、ボクとキミ会ったことあんのや。そん時からボク、キミとどうしても一緒にここで暮らしたかったんよ・・・。」
 まるで誰とでも儀式をすると思われるのは心外だと、言わんばかりの口調に儀式とは本当に特別なのだと知る。
 「会ったこと・・・?いや、それより儀式って今からするのか? ここで?」
 色々聞いておきたいことはあるのだけれど、それを男は手の平をスッとこちらに向けて日番谷を押し留めるみたいな仕草で遮った。
 「日番谷はん、その儀式な、終わってしもうたら村で暮らすことは出来んくなんるや、そん覚悟をボクのために・・・・して欲しい。」
 聞きたいことなんて山のようにある。
 こんな二人だけの問題みたいに言っているけれど、本来の目的の村は助けてもらえるのか、とか神様への贄になるはずの日番谷に対して一緒に暮らしたいとか覚悟をして欲しいと迫る神官とか、つじつまが合わないことだらけで、日番谷がこの状況をきちんと把握していないのは確かだ。
 夜明け前までは、この森で命を落とす覚悟でいた。
 それでもあの白いヘビに会いに行くのだと思えば恐怖も薄れて・・・・。けれど、状況は一変してここで暮らす選択肢になっている。
 この男・・・市丸は言わなかったけれど、日番谷が覚悟をきめなければもうこの社に来ることは出来ないし、市丸と会うこともないのだろう。
 村の冬は厳しいものになり、体力のない年寄りや子供から危険に晒される。
 考えれば男の顔にじわりと不安が浮かぶ。
 歳はどれぐらいだろうか? 完成された成人の身体をしていて、日々の問題を自分で解決できる知識を持ち、こんな森に独りで暮らすだけの力と精神力を持っている。
 その男が、心配で押し潰されないようにじっと身動きもせずにこちらを見つめていた。
 それは本当に、少し動いてバランスを崩しただけで男の身体を簡単に砕いてしまう凶事が頭上に重く圧し掛かっているのが目にも見えるようだった。
 日番谷の言葉が、まるで今から生きていく場所を天国か地獄か決めるみたいな深刻さだ。
 大人の男が、そんなにも日番谷の答えを辛そうに待っているから、心が動いてしまう。
 もともと覚悟はしてきたのだ。
 「そのままやと、この森では長く居られへんのや。ボクらのために必要なことなんよ・・・。」
 その言葉に再び心が大きく揺れた。
 今まで人に乞われたコトはなかった。村人も亡くなった祖母も日番谷に優しかったし、成長を温かく見守ってくれていたけれど、こんなにも切実に必要とはしてくれはしなかった。
 特に村人は、銀髪を持つ特別な少年だという日番谷の外見ゆえの意識を捨てることは出来なかった。
 指の先だけで触れるような扱いに、感じずにはいられない疎外感。
 おもわず憑かれたような男の瞳を見つめてしまう。
 そうなって初めて自分の本当の目的が胸の奥に潜んでいた事実に気が付いた。
 もちろん、村に迫る飢饉を救いたかったのだけれど、ただそれだけで供物になる決意は難しい。
 自分は、あの白いヘビにもう一度会いたかったのだ・・・。
 そのために命さえ賭けたのかもしれない。そう考えれば、もう後戻りできなくなると分かっていても儀式を執り行なうぐらい出来る気がしてきた。
 俯き、親しかった人たち全員の顔を思い浮かべて、そして秤に乗せて揺れていた目盛りがついに定まって針がどちらに傾いたのか読めてしまったように、ゆっくりと頷いた。
 
 「っ、おおきにっ・・・、ほんま・・・ボク嬉しいわ。なっ、こっち来てくれはる?」
 不安に潰されないように身体の中に溜めていた空気を、一気に吐き出したみたいに男は安堵のため息をこぼすと、今度はそれと同じぐらいの喜びと興奮と堪えきれないような期待が、同じ濃さ、同じ温度で混じりあったような様子で日番谷の手をとり、松の絵が画かれた襖を少し荒々しく開けた。
 次の間には天井から吊るされた簾が途中まで巻き上げられた状態で、その奥には二寸ほど周りより高く作りつけられたタタミが三畳分ほどあり、部屋自体は十畳程度ありそうだった。
 「なんだ・・・?この部屋で儀式をするのか?」
 見たことのない造りの部屋に手を引かれるまま近づけば、そのせり上がった場所には五布仕立の絹布団が敷かれていた。上等ではあるけれど、この男の寝間に見えるので、不思議に思えたのだ。
 「せや、儀式に神器は必要ないんよ。」
 男は掛けられていた掛布を捲り上げ、真っ白な敷布の上に座りおいでと日番谷に手招きした。
 恐るおそる近くに寄り膝をつけば、嬉しそうに微笑まれた。それがあまりにも優しそうだったので、自分はそんなに不安そうだったのかと思い至り少し恥かしくなった。
 だから、怖くはないと知らせるために頷くと『ごらん』と云うように長い人差し指が前に出された。
 儀式が始まるのだ分かって息を潜めて指先を見つめれば、その指先をそっと敷布に付けて、まるで墨で絵を描くように波状に指が滑るのを見つめると驚いたことに指が滑った跡には本当に薄墨で描いたような波の線が残っていた。
 「あっ・・・っ!」
 驚きに声を上げたあと、更に目を疑うような光景が続いた。
 その線は輪郭がスッとぼやけるとまるで敷布の下から浮かび上がるように姿を現したのだ。
 それは白いヘビの姿。
 日番谷の後を付いてきたヘビに間違いなかった。
 ヘビは長く伸びていたその身体をくるりと纏めてとぐろを巻くと、鎌首をもたげて日番谷と向かい合うとチロリと舌を出してみせた。
 手妻のような光景に男が宥めるように説明をしてくれる。
 「このヘビはボクの身体の一部・・・云うより分身やろか?このヘビの見ること感じることは全部ボクも見よるし感じよるんやから。」
 じゃあ、このヘビは白銀様の使いではなくてこの神官の使いだったのだろうか?そう思えば、目の前の男はヘビに似ているようにも見えたし、この男に会った記憶はなくてもこのヘビに会った記憶はあるのだから、つじつまは合う気がする。
 「このヘビ・・・森で会った。俺はこいつが白銀様なのかと思った・・・。」
 ついに会ったのだが、それが分身と云うなら本当の意味では日番谷が会いたかったのはこの市丸と名乗る神官だったと云うことになってしまう。なんだかそう考えると酷く恥かしく思えて、近すぎる男との距離をとろうと身を引くと、それを素早く察した手が背中に回された。
 「よう覚えとるよ?こない可愛い子が何処に住んどるのやろ思うて後をつけようとしたんや。」
 喋りながら背中に添えられた手に合わせて、今度は胸にも手が置かれ、それが押されるから力の流れのまま身体は傾き後ろの手に支えられ、そっと敷布に身体を倒された。
 その労わるような所作が、村の医師が具合の悪い時に怖がらせないように喋りながら、でもどこが悪いのか原因を丁寧に探しているのに似ていたので不安なんて感じることが出来ず、されるがまま力を抜いていた。
 「日番谷はん、よう昔の約束の言霊知ってはったね?あれな、前任者が村の偉い人たちと決めはった言葉なんよ。」
 市丸の前の神官・・・。今まで使ったことのある寝具を十枚集めてもこんなにはふんわりとしないであろう柔らかな感触に体重をあずけ、足元に座る男を見れば手の平にすっぽりと収まってしまうほどに小さな紅皿のような器を持っていた。けれど上部には三つほどの小さな穴が空いており、うっすらと白い煙が立ちのぼっていて、不思議に思えば男はその器を日番谷の鼻先まで近づけるからすぐに分かった。
 繊細な金の模様がはいったそれは香炉で、うっとりするような甘い香りがした。鼻腔に届くその白煙はあまりの良い香りに頭の奥が痺れる。
 「・・・? おい、これ・・・・なんか、」
 その痺れはゆっくりと日番谷の小さな身体を被いはじめ、起き上がろうとするのに上手くいかない。力を込めているはずなのに肘をついて上半身を少し持ち上げるのが精一杯だ。
 「今から日番谷はんの身の内にこの世界の一部を入れて、半分だけこの世界の住人になってもらうで?怖いことはなんもせえへん。ほんまや。」
 身体に世界の一部を入れると言われて、ぎょっとした。
 日番谷が思い描いていた儀式とは、祭事に行われる類のものだったけれど、判断があまかったのかもしれない。
 昔の、それも人に降りかかる災いを取り除くような、本当の神官が執り行なうような儀式はもっと苛烈なものの可能性も十分にあるのだ。
 その考えに恐怖の発作に襲われ、背中に嫌な汗がぶわっと浮かぶと男がここにきて初めて今までと違う種類の笑みを浮かべた。
 それは、長い間からだの内側からの圧力で破裂しそうだった欲望を、もう我慢しなくても良いのだと喜び、そしてその喜びを隠す必要がないのだと興奮している姿に見えた。
 この男をそんなにも狂喜させることとは何だ? 何をされる?
 柔らかなはずの敷布は恐怖に濡れた舞台に変わり、じんわりと日番谷の身体に染み込んでくる。
 「震えてはるね・・・・・。世界の一部や言うても絶対にキミを傷つけたりせえへんし、なかに入ればよお融けてしまうさかい、平気やろ?」
 体内に入りとけてしまうもの。それが何なのか想像もつかないし、その行為が何故この男をこんなにも高揚させているのかも分からなかった。
 何かを飲み込ませる気なのかと、とっさに歯を食いしばるけれど、男の指はまったく違う場所へ向かっていった。だから一瞬ほっとしたし、自分が考えすぎているのだと思いもした。
 けれど、指は着物の裾を上品にまくり上げ、痺れの残る幼い足を優しく抱えあげた。
 「・・・・っ!?、なにっ・・・何してるっ!?」
 その下肢を広げようとする行為と、優しく丁寧に扱うギャップに凄まじい寒気を感じ目を見開けば、映ったのは足の間にとぐろを巻く白いヘビだった。
 もたげられた頭は真っすぐに捲り上げられた着物の奥を向いていた。
 そんなことありえない。自分の頭をよぎった考えなんて荒唐無稽だと笑われてしまう。そんなこと考えるほうが奇怪しい。
 わかっている、わかっているのに、そのヘビが標的を定めるみたいに、小さな小動物を狙うみたいに構えているから、違うのだと確かめたくて男の顔を見る。
 縋るみたいに見つめる日番谷に、男は労わりをこめて左右に開いた足を撫で、まるでまだ上手く説明できない幼子をあやす大人のような顔をした。 
 分かっている、大丈夫わかってるから。キミはちゃんと出来るよ、と。
 
 「ボクで出来ててるこのヘビは、この世界の成分をたんと持っとるんや。」
 「全部やからしんどいかもしれへんけど、ボクがそんなん分からんよう、上手にやるよて安心してな?」
 言葉だけがぐるぐると狭い頭の中を飛び回るけれど、どれも捕まえることは出来ず、だからそのひとつひとつを手の中でじっくりと見つめて理解して対応すると云うことが出来なかった。
 
 ただ、男の声が、喉から飛び出しそうな欲望と戦いながら出している猫なで声みたいだと云うことと、自分は確かに白銀さまに奉納された生きた贄だったのだと分かったのが全てだった。