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紅蓮−1

 目の前にどんと置かれた資料を見て、日番谷は一瞬どうしようかと目を見開いた。
「あ、あとでうちのモンに十番隊に持って行かせますから」
 すぐに気が付いて、十二番隊の阿近が言った。
「あ、ああ、助かる。それじゃ、ちょっと気になるものだけ先に借りていくぞ」
 そう言って日番谷は山のような資料の中から、一冊、二冊、三冊…と手に取ってゆき、
「…日番谷隊長、そんなに持てるんすか?」
 結局両手一杯に資料を抱えてしまった日番谷を見て、阿近が苦笑した。
「良かったら、少しオレが持ちましょうか?」
「いい。お前は一刻も早く、ソレを調べてくれ」
 日番谷が今日十二番隊に持ち込んだものを顎で差して言うと、阿近は重々しく頷いた。
「わかりました。じゃあ、すぐ誰か呼びますんで、そいつに…」
「いい。これくらい、持っていけるから」
 何事につけ、人に頼ることの嫌いな日番谷が断って部屋を出ようとすると、阿近が思い出したように、
「あ、あと、一般の資料室にも記録があるんで、それのリストです」
 渡そうとして、日番谷の両手がどう見ても空いていないのを見て、
「…これも、後で残りの資料と一緒にうちのモンに持たせます…」
「いや、いい。その辺に差してくれ」
 日番谷の持っている資料のどこかに差し込んでくれ、という意味で言ったのだが、それを聞いた阿近は神妙な顔をして、
「はあ、では、失礼して」
 言って遠慮がちに手を伸ばし、…何故か日番谷の着物の合わせ目に、折ったリストを差し込んだ。
「…」
(何故そこに挟む?!)
 思ったが自分の言い方が悪かったかもしれないし、まあ、これでも悪いことはない。
 無理な頼みをしに来たこともあって、日番谷は密かに青筋を立てながらも、じゃあよろしく頼む、とだけ言って十二番隊を後にした。
(これだけに目を通すだけでも大変だが…急いだ方がいいしな)
 本当は帰りに資料室に寄って、少しでもそちらも見たかったが、これ以上持って帰るのは無理に思われたので、一度十番隊に戻ってリストを見てから出直すことにした。
 前も見えないほどの資料を持ちながら、それでも前が見えているようにスイスイと歩いてゆく日番谷に、時々すれ違う十二番隊の隊員達が、手伝おうかと声をかけようとしてかけられず、感心したように見送ってゆく。
「荷物重そうですね。手伝いましょか?」
 そんな日番谷に、堂々と声をかけてきた男がいた。
 その霊圧で判断しなくても、声とイントネーションですぐに誰かわかる。
「ありがたいが、結構だ。一人で持てるから」
「ボク相手に遠慮なんて水臭いですわ」
 声とともに両腕がふっと軽くなり、開けた視界に、にこやかに笑う市丸の顔が見えた。
「資料がひとりで歩いとるみたいで、見た人もびっくりするやろし」
「うるさいな。いいから、戻せよ」
 からかうように言う市丸にムッとして言うが、
「好意は素直に受けるもんですよ?」
「暇なのかよ、お前」
「う〜ん、暇ゆうか、ボクの最優先事項が十番隊長さんのお手伝いやゆう話やね」
「百パーセント迷惑だからヤメロ。とにかく、返せよ!」
 人の助けを借りることはもともと好きではないが、市丸の助けは、特に借りたくない。
 だが何故だろう。こんなにあからさまに迷惑オーラを発散しているというのに、市丸は全く気にすることもなく、しょっちゅう日番谷の前に現れては、いらない手を貸そうとしてくる。
 時々手土産などを持って、十番隊に遊びに来もする。
 そんな親切な男にも思えない市丸が、隊も離れているのに何故そうも自分に構ってこようとするのかわからなくて、その真意に悩んでいたところ、松本があっさりと、「そんなの下心があるからに決まってますよ」と、幾分憤慨しているように言った。
「隊長にだけやたらと優しい人や、明らかに怪しい親切な人には、気を許しちゃいけません。隊長みたいに可愛い子は、特に危ないです」
「『可愛い』とか言うな。『子』とかも言うな」
「だあって、可愛いし、未成年じゃないですか。隊長みたいなタイプが大好きな危ない大人って、けっこう多いんですよ〜ぅ」
 その言われようにはますますムカつくが、少し心配にもなって、
「…浮竹とかも、危ないのか?」
 そっと聞いてみると、
「あの人は、もともと親切な人ってだけです。…たぶん」
「狛村もか?」
「あの人が道に外れたことなさるとは思えないので、大丈夫だと思います。…たぶん」
「京楽もか?」
「あの人は、女好きは激しいですがその分まともでもあるから、…まあよっぽど、大丈夫です。…たぶん」
「藍染は?」
「あの人ももともと優しい人だし常識があるので、大丈夫でしょう。…たぶん」
「さっきからお前、たぶんたぶんって、全然当てになんねえじゃねえか」
「てゆうか隊長、そんなに皆に優しくされてるんですかーっ?さすがアイドルですねーっ!」
「誰がアイドルだ!一応確認しただけじゃねえか。皆、誰にでもそうなんだろう?」
「市丸隊長は、違います」
 不意にきっぱりと、松本は言った。
「あいつは誰にでも優しいどころか、意味もなく興味のない相手に近寄ったりしません。典型的な怪しい大人ですから、絶対にスキを見せちゃいけません!」
 そんなふうに松本に子供に教える親のように言われたからというわけでもないが、それ以来ますます、市丸の親切には警戒するようになった。
 市丸がそんな危ない大人のひとりなのかどうかは定かではないが、その親切が胡散臭いことは間違いない。
 その証拠に、日番谷のことを思いやってしているのではなく、どう考えても自分がやりたいからしているだけなのだ。
 今も日番谷がいくら断っても、その両手がふさがっているのをいいことに、資料を返すどころか胸元を覗き込んで、
「あれ、なんや色っぽいことしてはりますねえ。こないなとこに、文差して」
 市丸の目付きがすうっと艶を含んだと思ったら、言うなりさっと手を伸ばし、それを胸元から抜いた。
「お前、勝手に見るなよ!」
「あァ、恋文かと思たら、資料のリストかいな。相変わらず、仕事一筋なお人やねえ」
「どうでもいいだろ、返せよ!」
 日番谷だって早く見たいそのリストを、勝手に抜いて勝手に見るなんて、失礼にも程がある。それに、できればまだあまり他隊のそれも隊長に、見られたいものでもなかった。
「もしかして、これからこれ探しに資料室行かはるおつもりなら、荷物持ちにお供させていただきますけども」
 どこまで図々しい男なんだと思わず呆れたが、どう答えようが市丸はついてくるだろうし、資料室に改めて出直す手間が省かれることが、一瞬だけ魅惑的に思えてしまった。
「決まりやね」
 その一瞬の表情を見逃さず、市丸は嬉しそうに笑ってリストを元通り折り畳むと、再び日番谷の胸の合わせ目に差し込んできた。
「うわっ、何しやがる!」
 阿近にされた時でもムッとした程度だったのに、市丸にされると、何故かとんでもなく動揺してしまった。
 反射的に引っぱたこうとしてしまい、持っていた資料がバサバサと床に落ちて散らばった。
「何って、返せ言わはったの、キミやん。キミこそ大切な資料こんなに散らかして、何してはるの?」
「〜〜〜〜ッ」
 わざとらしく呆れたような顔をして、市丸が落ちた資料を拾い集める。
「これも、ボクが持たせてもらいますわ」
 なんだかもうどうでもよくなってしまい、日番谷は大きくタメ息をつくと、
「ああもう、好きにしろよ。行くならとっとと行くぜ」
 日番谷が山のように抱えていた資料も、市丸が持つとそれほどの量にも見えないところがまたムカつく。
 とうとう諦めて、残った少しの資料だけ持って、日番谷は市丸を連れて資料室に向かった。