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Fall in love−4

 突然思いもよらないことを言われて、カッと頬が熱くなった。
 とっさに思ったのは、どうにかして話を逸らして、そんな言葉で心臓が引っくり返るほど動揺したことをごまかさないと、ということだった。
「バカなこと言ってんじゃねえよ。…市丸、水、もう一杯…」
 壁から身を起こして言ったとたん、ハッと気が付いた。
(うわ、俺、こんな格好、したまま…!)
 しかもそんな格好のまま膝を立て、思い切り脚を開いて座っていた。
 男のパンツなど、市丸だって見たくもないだろうが、…ないにしては、市丸はさっきからこの広い部屋の中で、日番谷の真正面をわざわざ陣取っていたような??
(うへえ、あの位置からだと、丸見えじゃねえか!)
 慌てて脚を閉じて座り直し、ベッドの上に置いてあった浴衣に手を伸ばした。
 グラスに水を注いで戻ってきた市丸は、それを見てあからさまに残念そうな顔をして、
「なんや、着替えてまうの?」
「お前!気が付いてたんなら、言えよ!俺、…ずっとこの格好のまま…!」
「あは、言うわけないやん〜、もったいない」
 それは、何の冗談だろう。
 日番谷は服を脱ぎかけて、手を止めた。
 着替えるためとはいえ、市丸の前で一瞬でも裸になることが、なんだかとても恥ずかしいことのように思えてしまったのだ。
 だが、同じ男同士なのに、向こう向いてろと言うのもためらわれる。
「どないしたん?着替えへんの?まあボクは、そのままでもええと思うけども。…そのままで、も一度膝立てて、あんよ開いたらええと思うで?」
「あんよだとー!」
 いや、怒るところはそこではないだろう。
 だが、突っ込みたいところが多すぎて、とっさに全部突っ込み切れなかった。
「てゆうかテメエ、黙って見てやがったな、この変態!」
「黙ってへんよ〜、しゃべっとったよ〜。それに見せてくれとったのはキミの方やし」
「へらず口叩いてんじゃねえ!見えるところにわざわざ立ってやがったんじゃねえか!」
「うん、『もうちょっと大きく開け』てずっと念送っとったんやけども、それは通じひんかったみたいや」
「お、おま、おまえ、」
 悪びれもせずに言う市丸に、日番谷は怒りのあまり真っ赤になって言葉を失ったが、
「ま、それはええとして、キミ、早うお風呂入った方がええんとちゃう?お湯入れてきたるから、その間に着替えとき?」
 水を入れたグラスをサイドテーブルに置いて、市丸はそう言うと、さっさとその場を離れてバスルームへ行ってしまった。
(…あれ、なんだ、冗談だったのか?俺、からかわれた?)
 そう思ったら、今度はまた違った理由で、ボッと頬に血が上った。
(そ、そりゃそうだよな?!本気で男の子供のパンツなんか見たいわけねーじゃんか!うわあ、恥ずかしい!本気で怒っちまった、俺!)
 ちょっと緊張していたのが、またどっとアルコールの酔いが回った気分だった。
(女の格好してるから、こんなへんな話になるんだ、チクショウ。髪に花も挿されたままじゃねえかよ、俺ったら。最悪だ。だからあんなこと言われたんだ。パンツじゃなくて、いつまでも気付かずに女の格好してる俺のこと見て笑ってたんだ。遠回しにそれをからかわれたんだ。直で言ってくれりゃいいのに。やっぱりヤなヤツだ、チクショウ)
 泣きそうになりながら急いで衣装を脱ぎ、浴衣を着た。
 それから市丸が置いていったグラスを取り、ぐいっと水を煽った。
 煽ってから、あれ、このグラス、さっきからふたりで同じもの使ってねえ?と気が付いた。
 別にそういうことを気にするタイプでもないのだが、…さっきから市丸は話をしながらこのグラスを手の中でくるくる回しては飲み、回しては飲んでいたような気がするのだが、同じところに口を付けてしまったかも…と思っただけで、また顔から火が出そうになった。
(…なんか、俺、ヤバい。動揺している理由がヤバい。市丸もそういうの気にしないタイプだから平気で同じの使ってんだろうけど…。俺だけこんなこと気にして、なんか、変じゃねえの?)
 さきほど放り投げた市丸の羽織がふと目に入ると、ここに運ばれる間に包み込まれたその匂いを突然思い出して、また動揺した。
 女の子達の部屋から転がり出た時、本当は市丸のところに行きたかったのに、藍染より市丸の方を選ぶということがどうしようもなく恥ずかしくて、できなかった。
 というよりも、酔いに任せた勢いがなかったら、市丸の胸に飛び込むなんて、そんなクソ恥ずかしいことなど、考えただけでも叫び出したくなるほど恥ずかしい。
 男のくせにとか隊長なのにとか、やっぱり子供だと思われるのが悔しいとか、理由は色々あるけれども、市丸の場合はそれだけではなく、…
「十番隊長さん、そろそろ、ええで?」
 そこまで考えたところで急に声をかけられて、日番谷は飛び上がるほどに驚いて、あやうく悲鳴を上げてしまうところだった。
「あ、ああそうか、悪い」
 努めて平気な顔をして立ち上がろうとしたら、まだうまく足が動いてくれなかった。
 市丸は慌てて飛んできて手を貸してくれるようなことはせず、日番谷がよちよちと歩いてくるのを、その場に立ったまま、いつもの笑みでじっと見ていた。
 じっと見ているのは、倒れないかどうか、一応心配しているのだろう。だが求められる前に手を貸すのは失礼だと思ったのだろう。
 それが市丸の心遣いであるのならば、それはとてもありがたかった。
 大人として、男として、隊長として敬意を払われているように感じて嬉しいし、何より今市丸に触れられたら、悲鳴を上げて飛びあがってしまいそうだった。
 じっとみつめられていると心臓が爆発しそうに荒れ狂って、そのせいで、まるで歩き方を忘れてしまったみたいに、ますますうまく歩けなくなってしまうけれども。
「タオルも、石鹸も、みんなお風呂場にあるよって」
「そうか」
 そのまま市丸の前を過ぎ、ようやくバスルームに着いて戸を閉めると、絡みつくような視線から逃れて、ようやくホッとした。
 だがそれも一瞬で、見たこともないその光景に、頭がグラグラし始める。
「な、なんで洗い場がねえんだ?!なんで風呂とトイレが一緒になってんだ?どこで体洗ったらいいんだ?なんでタオルはあんな高いところに置いてあるんだ?」
 それは、日番谷の想像を絶する部屋だった。
 風呂とトイレが合体したその部屋は、軽く六畳くらいの広さはあるだろうか。
 右手に洋式の便器があり、左手に大きなバスタブがあり、間に豪華な洗面台があって、その隣に透明な壁で仕切られた、シャワールーム?のようなものがある。
 バスタブにはカーテンがついていて、どう考えても、こんな広い空間がありながらも、日本式の風呂には必ずついている、洗い場らしきものはなかった。
 何が何だかよくわからなかったが、とりあえず湯に入ればアルコールも少しは抜け、頭が働くようになるだろうと思った。
 少なくとも、市丸に対するこの変な気持ちは落ち着いてくれることを期待したい。
 浴衣を脱ぎ、大きなバスタブに足を入れると、熱い湯が心地良かった。
 湯が少なめなのは、日番谷の身体のサイズに合わせた、市丸の気遣いなのだろうか…?
 だが、湯の量は日番谷の身体のサイズに合わせてくれたとしても、バスタブのサイズはどうにもならなかった。
 底が浅いその作りは、しゃがんで入るのではなく寝そべるのだろうと想像はできたが、そうするには完全に向こう側に足が届かない上、このバスタブは、とても滑りやすかった。
 一度バスタブの端に背もたれてゆっくりと身体を伸ばして温まってから、湯の温度を調節するために蛇口に近付こうと身体を起こしたとたん、力の入らない足が、つるりと滑った。
「うわっ…」
 踏ん張ろうにも、バスタブはつるつるで、とても大きくて、アルコールの回った身体は思うように動いてくれなかった。
 気が付いたら熱い湯の中に勢いよく沈んで、底や内部に頭と肘と腰を打ち付けていた。
(ヤバ…まさか、こんなところで溺れるわけには…)
 パニックになりかけたとたん、突然大きな手が日番谷の腕を掴んで、湯の中から引き上げた。
「大丈夫?十番隊長さん。やっぱりひとりは無理やったね。ゴメンな?」
 大きく咳き込む合間に、市丸のそんな声が聞こえた。
 状況が掴めないまま大きな身体に抱き締められて、再び湯の中にざぶんと入った。
「い、いちまる、ちょ、ま、」
 最初のパニックが過ぎたとたんに、次のパニックに襲われた。
(な、何やってんだ、こいつーーーー!)
 いつの間に入ってきたのか、全然気付かなかった。
 様子がおかしいと気が付いて慌てて来たにしてはタイミングが早すぎるし、市丸は裸で、準備万端だ。
 しっかりと日番谷を背中から抱き締めたまま湯に入り、こちらは少し窮屈そうにバスタブの中で身体を伸ばしている。
「お前っ…!何考えてんだ!離せ!出ろ!この変態―ッ!」
 必死で暴れようとするが、もうすっかり市丸の腕の中にある小さな身体がそこから抜け出るのは至難の業だった。
 しかも市丸はやっぱり全く悪びれもせず、
「せやけど、アルコール回ったままキミがこの大きなお風呂にひとりで入るんは、無理やと思うわ。足、向こうに届かへんやろう?実際転んでもうたようやし、危険やわ」
「い、いいから!もう俺、出るから!タオルだけ取ってくれたら、それでいいから!」
「そない遠慮せんでもええんよ。ボクはちっともこういうの、嫌やないし」
「俺が嫌なんだー!」
「恥ずかしがり屋さんなんやね」
「お前…頭おかしいんじゃねえの?!」
「キミの反応が激しすぎるだけやない?」
 あっさり言われると、なんだか常識がよくわからなくなりそうだ。
 だがやっぱりどう考えても、この状況はおかしいだろう。男同士だということを考えに入れても。いや、男同士だから、よけいおかしいのではないか?
「お酒は怖いよね。乱菊がお酒大好きやったから、昔はよう介抱させられて、大変やったんよ。あの子はお酒にめっぽう強いけども、加減ゆうもん知らへんかったから、ええこととかやなこととかあった日は、ぐでんぐでんになるまで飲みよった。あれは、介抱要員としてボクがおったから、安心してあそこまで飲んどったんやろうなあ。それ思うと、ボクが飲ませたことになるんかなあ」
 だが、市丸がしみじみとそんな話を始めたので、日番谷は抵抗するタイミングを逃してしまった。
「せやけど、今でこそ乱菊はあの通りやけど、あの頃は隣におっても安心して酔いつぶれることのできる男はボクだけやったみたいやから、そうやって心底信じて甘えてもらえるのも嬉しかったんやね、ボクも」
 市丸の話から、二人の優しい関係がひしひしと伝わってきて、日番谷の胸がきゅっと苦しくなった。
 いい話を聞いて温かい思いになりながらも、とても、…とてもうらやましいような気持ちになった。
 うらやましいというのはこの場合とても柔らかな表現で、どちらかというと、…自分の副官と自分よりも信頼関係をもっている市丸に対してか、自分の副官が自分よりも市丸と…、
「こん中つるつるして危ないし、お湯の中で簡単に洗うだけにしとくけど、ゴメンな?」
「は?」
 自分の思いにふけっていたので、市丸が何を言ったのか、とっさにわからなかった。
 市丸はそれ以上説明をすることはせず、小さなタオルを取ると、当然のようにそれで日番谷の身体を撫でてきた。
「う、わっ!な、何しやがる!やめろ!」
 冷静に考えると、市丸は日番谷の身体をそれでこすって洗うつもりだったのだろうが、そのやり方があまりにもソフトで優しかったため、洗われているというよりも撫でられていると感じ、とっさに日番谷はその手を撥ねつけた。
「お風呂キライなん、わんこみたいや」
 市丸はまた、からかうように笑った。
「ええから、力抜いて任せときて。ここまできて、同じやん。暴れるとよけい、アルコール回るで?」
 暴れたせいなのか風呂のせいなのかよくわからないと日番谷は思ったが、実際にクラクラしていたので、そののんびりした言葉にすっかり気力を奪われて、とうとう力を抜いて、市丸に体重をかけた。
「…早く終わらせろ。本当に、くらくらしてきた…」
「あは。…アルコール分解能力ゆうんは個人差あるけども、同じ能力やったら、単純計算で、肝臓大きい方が、いっぱい分解できるやん。せやから、身体小さい子ぉの方が、分解に時間かかるんは、普通なんよ」
 慰めているつもりなんだか、そんなことを言いながら、市丸の手が、そっとタオルで日番谷の肌をこすってゆく。
 タオル越しだから安心してしまったこともあるかもしれない。だんだんとマッサージでも受けているみたいに気持ちよくなってきて、日番谷は目を閉じて、本格的に力を抜いた。
 温かい湯の中で、完全に身体の力を抜いても大きな身体がしっかりと支えてくれていて、もしもこのまま眠ってしまったとしても、市丸がベッドに連れて行ってくれるだろうと、いつの間にか不思議なくらい安心しきってしまっていた。
 先ほどの市丸の話が心に残っていたのかもしれない。市丸を介抱要員としてそばにおいて、安心して酔い潰れたという松本の気持ちが、わかったような気がした。
「さすが、十番隊長さんは、玉のお肌やねえ。80%くらい、水分でできてそうや」
「赤ん坊じゃねえか、それ」
「うん…や〜らかい」
 その時初めて日番谷は、あれ?と思った。
 いつの間にかタオルではなく、直接市丸の手が肌を撫でていた。
(……!!!)
 落ち着いていた鼓動が、また一気に跳ね上がった。
 こんな状況で、よくもぼんやり安心などしていられたものだ。
 少しアルコールが抜けたのか、夢から覚めたように今の状況を把握して、恐怖と羞恥と興奮が、一度に襲ってきた。
「いち…まる…お前…」
「ん?ようやく気ィ付いた?」