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Don't Speak−13

(…ハッ)
 心のどこかで、市丸が遊びのつもりじゃないと言ってくれることを期待していたことに気がついて、日番谷は心の中で、自分を笑った。
(この期に及んで、なに期待してたんだ、俺。バカじゃねえの?)
 叫びだしたいほどの胸の痛みに気付かないフリをして、日番谷は自分に言い聞かせるように、
(いいじゃねえか。これで明日の朝には、全て終わるんだ)
 市丸がわざわざ会いに来ることをしなくなれば、そうそう顔を合わせることもなくなる。
 顔を見なくなれば、自然と心からも消えてゆくものだ。
 幸い、あえて思い出す暇もないほど、毎日忙しい身なのだ。これから心おきなく、仕事に専念すればいい。
「日番谷はん、そないなところにいつまでも立っとらんと、こっちにおいで?」
 市丸はわざわざ近寄ってきて、握りしめた日番谷の手をとって、優しく引いた。
「こない力入れんでも、平気やで?怖いことなん、なんもあれへん」
「別に、」
「お風呂には、入った?」
 さりげなく聞いてくるが、これからすることを生々しく感じて、決心してきたはずなのに、うろたえてしまう。
「悪い、まだ…」
「ボクも、まだや。今からちょうど入ろう思うて沸かしとったところやから、ここで入ったらええよ」
 優しく言って、市丸は風呂らしき扉の奥へ消えてから、お湯加減バッチリや、と言って出てくると、奥の部屋から白い着物を出してきた。
「先に入って、これを着て、出ておいで?その間にお布団用意しとくからな?」
「…わかった」
 一緒に入ると言われなかったことにはホッとしたが、わざわざ布団を用意するなどと言われると、緊張してしまう。
(…市丸の奴、ご機嫌だったな…)
 これきりだと言ったのに、それよりも日番谷の身体をいただけることが、嬉しいのだ。
 そう思うとまたやり切れない気持ちにはなったが、優しくするつもりがあるらしいことは、有難かった。
「…なんだ、これ?」
 とにかく嫌なことはさっさと終わらせてしまおうと、さっさと着物を脱いで浴室へ入ると、湯の中には奇麗な色の花びらがたくさん浮かび、浴室中にその良い香りが漂っていた。
(あいつ、いつもこんなもん入れて風呂入ってんのか?趣味悪ィ〜!)
 女の子がそうしているなら可愛らしいが、あんな大男がそんなことをしても、気持ち悪いだけだ。
 心底その趣味を疑いながらも仕方なく、日番谷はその風呂に入った。
(う〜、変な匂いつきそう…せめて柚子くらいにしときゃいいのに)
 季節があるから仕方がないのかもしれないが、もう少し、考えてもよさそうだ。
 早々に上がって出てくると、用意された着物にそでを通す。
(…なんで俺のサイズの着物持ってんだ、あいつ?)
 純白の着物は新品で、さらりとした肌ざわりが、上質の布地であることを感じさせた。
 日番谷が出てゆくと、市丸はその姿を嬉しそうに見て、
「ええ香りや。その着物もよう似合うとるよ。湯上りの日番谷はん、最高や」
 さっと寄ってきて、エスコートするように肩に手を添え、奥の部屋へ導いてゆく。
(…ウッ)
 開けられたふすまの奥の部屋を見たとたん、思わず日番谷は、逃げ出したくなった。
 広い部屋の真ん中に大きな布団がふた組、ぴったりと並べて敷かれ、その上にはまた、奇麗な色の花びらが撒いてあった。
 枕もとには上品な灯りが灯され、良い香りの香がたかれ、まるで新婚初夜の褥を思わせる、色っぽい雰囲気が漂っている。
「今日はふたりの初めての夜やからね。ボクの可愛えお嫁さん」
 ちゅ、と額にキスをして、市丸は嬉しそうに言った。
「したらボクもお風呂入ってくるよって、ここで待っとってな?」
「…」
 一度そっと抱き寄せてそう言ってから、市丸はすうっと日番谷から離れ、部屋を出ていった。
(何考えてンだ、あいつ?)
 こうなるとあの風呂の花びらも、市丸の演出だったのだ。
 このぴったりの着物も、これらの品々も、いつかこうなることを予想して、用意していたのだろうか。
(…そういえば、いつだったか、そんなこと言ってたな?初めての夜は、ロマンチックな演出をしてやるとかなんとか?)
 まさか、本気で用意しているとは思ってもみなかったが。
 ここまできて逃げる気はないが、こうまでされると、怖いような気持ちになってくる。
(別に、ホントの恋人でも、なんでもないのに)
 それどころか、一晩限りの、遊びでしかないのに。
 それとも遊びだからこそ、ここまでするのだろうか。
 市丸の考えることなどわかるはずもないが、慣れないこんな雰囲気に緊張して、日番谷は布団の脇に正座をしたまま、じっと市丸を待った。
 市丸はそれほどかからずに、戻ってきた。
「日番谷はん、入るで?」
 声とともに、スラリと襖が開けられた。
 いつもの死覇装ではなく、日番谷と同じような白い着物を着た市丸に、思わずドキッとしてしまう。
 市丸も日番谷を見て、一瞬息を飲むようにしてから、
「…なんやほんまに、新婚初夜のお嫁さんみたいやねえ。きちんと正座してボクのこと待っとってくれはるなんて、思わず感動してもうた」
 デレッとした顔をして近寄って来た市丸からは、風呂に入っていた花の香りがした。
「お酒、飲める?」
「…ああ」
 本当は飲んだことなどないが、日番谷は頷いた。
 市丸は日番谷の隣に胡坐をかき、大きめの奇麗な朱の塗られた杯に酒を注ぐと、一口自分で飲んでから、にっこりと笑って日番谷に渡してきた。
 日番谷は黙ったままそれを受け取って、同じように一口、飲んでみた。
 とたんに身体が、燃えるように熱くなる。
 本当はおいしくもなんともなかったが、表情には出さず、杯を市丸に返した。
「おいで?」
 市丸は盃を置くと、日番谷の手を取って、布団の上に導いた。
 ついにきたかと覚悟を決めて、手を引かれるまま布団に移動すると、先ほどの酒で、一瞬クラッときた。
「あ」
「大丈夫?」
 優しく聞いて、市丸がそっと抱きしめてくる。
 薄い着物ごしに市丸の体温を感じ、少し速い鼓動を聞いて、安心するような緊張するような、不思議な心地がした。
 市丸はそのまま優しく髪を撫で、日番谷を落ち着かせてから、そっと身体を離して、額に口づけてきた。
「可愛えなあ、日番谷はん。ほんまに可愛えよ?」
 顔中にキスを落としながら、うっとりするように、市丸が言った。
(…ッカヤロ、んな声出してんじゃねえよ!)
 本当に嬉しそうに、本当に愛しそうに、本当に大切に思っているように、そんなふうに優しくされたら、本当は日番谷のことを好きなのではないかと、期待してしまう。
 いつまでも忘れられなくて、想いを引きずってしまう。
 やがて唇を合わせられると、その不安はいっそう強く日番谷を支配した。
 優しく唇をなぞるようにしてから、ふんわりと押しつけられ、やがて甘く吸われて、そっと舌が伸びてくる。
 反射的に唇を開くと、その舌はスルリと中へ潜り込んできて、日番谷の舌を絡めとった。