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Judie−15

 精霊廷に戻り、報告書を仕上げると、白峯は飛ぶように隊首室へ向かった。
 席官の一人として名を連ねるとはいえ、隊長である日番谷とは、普段そうそう近くへ行ったり、ましてや話ができるような機会は、あまりない。
 十番隊の隊長に日番谷が就任した時、力はあっても子供なんだよな、と心のどこかで思っていたが、会ってすぐ、彼の全てに圧倒された。
 小さな身体に収まり切らないほどの、凄まじい霊圧。
 揺るぎない自信と知性に溢れた、真っ直ぐな目。
 その身体の小ささを思わず忘れさせる、堂々たる風格。
 力強く、真っ白に輝くオーラ。
 そして、息を飲むほどに、美しい顔立ち。
 これが青年だったなら、ここまで皆を唸らせただろうか。
 少なくとも白峯は、そんな彼がまだ幼い少年であったことに、感服した。
 彼をひと目見た瞬間、言葉通り平伏しそうになった。
 日番谷は、遥か遠く高くで輝く星のような、とても近付けない存在だった。
 だから、現世に行くメンバーに選ばれた時は、嬉しさばかりでなく、緊張で倒れてしまいそうだった。
 遠くで見ていただけの日番谷が、突然、手を伸ばしたら触れられるほど近くに来たのだ。
 そしてハプニングにより、本当に文字通り手を伸ばして、触れてしまった。
 今回の現世任務のメンバーは皆、もともと隊長副隊長に心酔していたが、それとはまた別に、渡月と化野はすっかり松本の色香に骨抜きになってしまったようだった。
 そして、白峯が骨抜きにされたのは、日番谷だった。
 真面目で厳しく、遊びのない怖い隊長だと思っていたから、真正面からまっすぐ顔を見たことなど、なかった。
 だが、実際の日番谷は真面目で厳しいのは確かだが、思いやりがあり、なによりも、…ふっと見せる素の顔はとても純粋で、とても、とても可愛らしい人だった。
 宝石のような大きな瞳も、果実のような唇も、きめ細やかな白い肌も、間近で見て以来、白峯を魅了してやまなかった。
 自分の遥か上にいる人であることも、恐ろしい力を持っていることも忘れて、手を伸ばしてしまいたくなるほど、白峯の全てを奪い尽した。
 現世の任務を終え、精霊廷に帰ってからも、白峯は眠れなかった。
 問題の少女をみつけ、それに吸い寄せられるように次々と集まっては巨大化してゆく虚達と対峙した時、日番谷は一人、別行動をとっていた。
 一体倒す間に別のものがより巨大化し、斬っても斬ってもきりがないばかりか、気が付いたらとても手に負えないほど大きくなった虚が目の前にいた。
「白峯!」
 一瞬、足が竦んだ。
 そんな強力な虚を見たのは初めてで、しかもすでに何体か倒し、疲れも出ていた。
 頭の中が真っ白になっていたから、誰かが自分の名を呼ぶ声が遠くで聞こえたが、それが誰の声か、わからなかった。
「霜天に坐せ!」
 遥か遠くで、もう一度、凛と響く誰かの声が聞こえた。
「氷輪丸ッ!」
 その瞬間、カッと稲妻が走ったと白峯は思った。
 だが、押し寄せてきたのは熱ではなく、凄まじい冷気だった。
「うわあぁぁっ…!」
 自分に向ってきたわけではない。
 だが、真上を駆け抜けてゆく強力な霊圧の余波を受けただけで弾き飛ばされ、白峯はなんとか身体を守って受身をとるだけで精一杯だった。
 ぐるっと回った視界の向こうで、蒼く冴えた月が、真っ黒な雲に覆われてゆくのが見えた。
 そして視界の端に、青く輝く巨大な龍が、今にも白峯を喰らおうとしていた強大な虚に、唸りを上げて襲いかかってゆくのが見えた。
「日番谷隊長!」
 息を飲んで、白峯はその恐ろしい氷の龍を操る小さな少年を見上げた。
 現れた日番谷が放った氷の龍は、無数に集まっていた虚達を次々となぎ倒し、喰らい尽し、凍り付かせ、黒い雲が渦を巻く空の下を、所狭しと暴れ回った。
「あ、あ、あ…」
 気が付いたらすぐ向こうで、自分と同じように渡月も震えていた。
 見れば自分の手足も、同じ様にガクガクと震えていた。
 想像を超える強大な虚を前に、死の恐怖を味わったからか。たった一体でも、席官である白峯をそこまでの恐怖に震え上がらせた虚の大群を、一瞬で全て葬った日番谷の、今なおビリビリくるほどの霊圧と冷気に圧倒されているからか。
「遅くなってすまない」
 それでも、光り輝く氷のオーラをまとった少年が自分達のもとへ舞い降りてきた時、本気で天使だと思った。
「大丈夫だったか?」
 差し出してきた手は小さく、伸ばした自分の大きな手の方が、ブルブル震えて情けない有様だった。
「日番谷隊長の卍解は、氷の羽根が生えて、それはもう美しいらしい」
 戻ってから、化野が夢を見るような目をして言った。
「あんなすげえ虚の大群でも、隊長は始解しただけで倒しちゃうんだなあ」
「すげえよなあ。あんなちっちゃいのになあ」
 格の違いを見せつけられても、白峯はふと垣間見ることのできた素の日番谷の、可愛らしい純粋な顔が忘れられなかった。
 いや、あんなすごい姿を見せつけられたからこそ、そんな日番谷に、自分達でも身近に感じられる一面を見せてもらったことが、嬉しかったのかもしれない。
 もう一度そんな日番谷を感じたくて、任務の翌日は休みだったが、白峯はそれほど急がない報告書をその間に書き上げて、休み明け一番で持っていった。
「日番谷隊長!」
 執務室に続く廊下の途中で日番谷をみつけると、白峯は尾を振る勢いで駆け寄った。
「おう、白峯。ゆっくり休めたか?」
「はい!任務では、貴重な経験をさせていただきました。ありがとうございました!」
「ああ、怪我がなかったようで、何よりだ」
「日番谷隊長のおかげです」
「到着が遅くて、悪かったな」
「いえ、最初から隊長がいらっしゃったら、俺達の出番、全くなかったですから」
「そんなことはない。よくやってくれた。総隊長にも、お前達の働きは、よく報告しておいた」
「ありがとうございます!」
 頭が床につくほど下げたら、可愛らしい足が目に入って、ドキッとした。
「これ、報告書です」
「早いな。もう書き上げたのか」
 差し出すと、これまた可愛らしい小さな手が伸びてきて、それを受け取った。
 渡す瞬間、日番谷と書類を介して繋がったと思ったら、胸がドキドキしてきて、ぼうっとなった。
 思えば、現世で日番谷に、とっさの行動とはいえ触れることができたのは、本当に幸運だった。
 あの時日番谷は死覇装より薄い布でできた現世の服を着ていたから、その柔らかな身体の感触はまだ、リアルに指に残っていた。
 華奢だった。
 あんなにすごい力を持っているとは、とても思えないほどに。
 手が届かないにしても、もう少しくらいは、近くに行ってもいいのではないかと思ってしまうほどに。
「日番谷隊長の始解、初めて見ました。…すごかったです。俺、日番谷隊長の下で働けて、本当に幸せです」
「そうか」
 率直な賛辞も、堂々と受け入れる。
 自分の力が事実すごいことを、自分で承知している者の態度だ。
 惚れ惚れするほど魅了されながら、どうしようもなく憧れる。
「現世も勉強になりました。俺、…」
 そんな日番谷が気さくに応じてくれるのが嬉しくて、白峯が夢中で話していると、
「……!!!」
 突然のその感覚に、時が止まり、空間に亀裂が入ったように、白峯は感じた。
 足元低く、何か得体のしれない恐ろしいものが迫って来るように感じて、白峯は反射的に飛び上がり、大きく遠くへ転がるように逃げた。
「白峯?!」
 こんなに強烈な気なのに、日番谷は何も感じなかったように、驚いたように白峯を見ている。
「ひ、ひつが、…!」
「おはよ、十番隊長さん。ごきげんいかが?」
 柔らかな声とともに、廊下の向こう、暗い陰の中から、ユラリと大きな影が現れた。
 それだけで、飲み込まれるような恐怖に、膝が勝手に震え出す。
「ああ、市丸」
 ごくあっさり返す日番谷の声が、何事もないような普通の声であることが、とても怖く感じた。
(市丸…三番隊の、市丸隊長かっ!)
 会ったことは、ほとんどない。
 日番谷と同様、雲の上の人だ。
 怖い人だという噂は聞いた。
 研ぎ澄まされた刃のような人だと、首に絡み付いてくる蛇のような人だと…。
(な、なんで、市丸隊長が…)
「お前、現れる時そうやって時々へんてこな霊圧送ってくるの、やめろよ。若い奴が、怯えるだろう?」
(へ、へんてこって、日番谷隊長…!)
 日番谷は気が付いていて平然としていたらしいから、日番谷からみたらへんてこ程度のものなのかもしれないが、白峯にとっては、そんな軽い言葉で表現されるような霊圧ではなかった。
 もうとっくにその霊圧は消えたのに、震えが止まらないほどのものだったのだ。
「だって、反応おもしろいんやもん」
「趣味悪いぞ。おい、大丈夫か、白峯?こいつのおふざけだから、そんな、ビビるな」
(ビビるなって言ったって…!)
「白峯クンは―――」
 唇の端が切れ上がる、独特の笑みを死覇装の袖でそっと隠すようにして、滑るように市丸が近付いてきた。
 霊圧はもうすっかり抑えているのに、近付いてきただけで圧倒されて、一歩出すごとに揺れる袴や羽織の裾を、白峯は声も出せないままみつめ続けた。
「――怯えたウサギちゃんみたいやね?」
 擦れ違いざま、白峯の顔を軽く覗き込むようにして、優しいとすらいえる声でそう言うと、市丸はそのまま音もなく通り過ぎた。
「十番隊長さん、ボクは今から十二番隊に用事で行きますよって、十番隊長さんもご一緒にどうやろ思うて、お誘いに来ましたんよ?」
 何事もなかったかのように、市丸が日番谷に話し掛けた。
「十二番隊か。そうだな。俺も行かないといけねえな」
 こちらも平気でそれを受けて、今度は二人で白峯の横を通り過ぎる。
「あ、白峯、ちょっとこれから十二番隊に行ってくるから、悪ぃけどこれ、松本に渡すか、俺の机の上に置いておいてくれるか?」
 すれ違う時、先ほど渡した報告書を差し出しながら、日番谷が言った。
「は、はい…」
「悪いな」
「いえ…」
 市丸は副隊長のように日番谷の後ろを歩きながら、「この間の任務の報告書ですか?もう出してきとるの?さすが十番隊長さんとこの子ぉは、仕事が早いですねぇ〜」と日番谷に言い、日番谷は市丸を振り返りもせずに、「ああ、優秀だからな」と答えていた。
 二人のその後姿を見送って、白峯はようやく、自分の淡い恋が、淡く淡く終わったことに気が付いた。